東京新聞 2010年6月10日(木曜日)

こちら特報部
普天間を自主解決   沖縄独立論 現実に? 国と対等な関係必要

 菅直人首相は普天間問題日米共同声明の見直しをためらいもなく否定した。怒りの火が燃える沖縄では今、数十年来一定の支持者を持ち続けてきた「自主・独立論」が、勢いを増す気配を見せている。「国家」とはー。「主権」とはー。日本人が目を背けてきた大きな問題が、現実感を持って目の前に現れた。(岩岡千景、鈴木伸幸)

 「沖縄に基地が押しつけられるのは、一億三千万の国民の利益の前に百三十九万の県民の利益が犠牲になるという数式の問題だ。変えるには沖縄が独立し、国と沖縄を一対一の対等な関係にするしかない」
 沖縄県の地方政党「かりゆしクラブ」の屋良朝助代表は言葉に力を込めて語る。米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の「県外・国外移設」をうたいながら、名護市辺野古への移設で米軍と合意した鳩山由紀夫前首相。菅首相も前政権の方針を踏襲する考えを表明し、沖縄県民の期待は裏切られた格好だ。「民主主義国家が多数の利益を優先するのは当然で、誰が首相になろうと同じ。問題を解決するには、沖縄と日本が対等になるしかないんです」と屋良氏。
 「独立論」を支持する県民の声は高まっていると屋良氏はみている。
 四月に同県読谷村で開かれた普天間飛行場の県内移設に反対する県民大会の会場では「独立を要求する」と書いた同クラブのビラを多くの人が受け取ったという。
 琉球の独立が国連で承認されたとまことしやかに書いた「新聞号外」も配られた。沖縄県の県紙、沖縄タイムスと琉球新報をもじった「琉球タイムス紙」の発行とされ、紙面には「国連総会 琉球臨時政府 加盟承認」の大きな見出しが躍る。記事中には「普天間飛行場の移設問題も日本政府の手から離れて琉球政府が自己決定権を完全行使することが必至となった」などと書かれていた。
 屋良氏は「沖縄が東アジアの軍事的安定の重要拠点なのは事実。独立した上で国連平和維持活動(PKO)の拠点などにすれば、多大な軍事費を掛けずとも平和を維持できる」とも主張。こうした提案に、事務所には「賛成だ、頑張れ」と励ます電話やメールが多数寄せられているという。

 沖縄には一八七九年に明治政府が沖縄県設置(琉球処分)をするまで、独自の歴史や文化をはぐくんだ琉球王国があった。それだけに「独立論」は、沖縄社会の底流に根強く存在し続けてきた。
 これまでも、戦後初期や米兵による少女暴行事件が起きた一九九五年、沖縄戦の集団自決をめぐる教科書検定が問題になった二〇〇七年など、沖縄と本土の距離感が問題になるたびに注目されてきた。
 琉球大の林泉忠准教授が〇五〜〇七年に沖縄県民二千三百人に実施したアイデンティティー(自己同一性)に関する調査では、県民の20〜25%、四、五人に一人が独立を要望しているとの結果も出ている。
 林准教授は「結局は県内に戻った普天間問題の決着を受け、ウチナーンチュー(琉球民族)意識を強め、日本人との距離を感じた沖縄県民も多かったと思う」と説明。「これまで県民は政府から差別されている意識が強かったが、鳩山前首相が全国県知事会で沖縄の負担軽減を呼び掛けても大阪府の橋本徹知事以外に反応はなく、日本人全体から差別されている意識を強めただろう」と話す。
 だが「だからといって日本と決別して独立しようと思うかは別だ」と慎重に言葉を選ぶ。
 「独立を要望する県民は常に二割はいるだろうが、ほかの多くの県民は同じ日本人として扱い、沖縄県民だけを差別しないでと切望している。今回の決着で抱いたのは決別のエネルギーではなく深い失望ではないか」

負の連鎖招く恐れ まず強い自治権を   「3年で可能」、小国は世界に40以上

 ところで、もしも将来県民が独立の道を選んだとしたら、どうなるか。
 「三年で独立は可能」と主張するのは元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏だ。「沖縄の県民数は約百三十九万人。それ以下の人口の独立国家は四十以上ある。『独立論は居酒屋談義』と過小評価されがちだが、現実の国際社会では十分にありうる」
 実例として挙げるのが、旧ソ連から独立したバルト三国だ。一九九一年三月に、ソ連は全土で「ソ連維持」に関する国民投票を行った。バルト諸国でも過半数が独立反対だったが、その半年後までに三国は独立。ソ連は崩壊した。
 沖縄が独立国家となるには、他国の承認が必要だ。それについても、佐藤氏は「沖縄は独自の民族性と言語を持つ。かつて、琉球王国だった時代には、米国やオランダ、フランスと修好条約を結んでいた。そうした歴史的事実からしても『もともと独立国だった』という主張は国際的に通用する」と分析する。
 では、どのようなプロセスが想定されるのか。旧ソ連や東欧での、国家の分離独立をつぶさに見てきた佐藤氏は「負の連鎖」と話す。
 「辺野古沖への基地移転で、座り込みが起こる。その中に沖縄戦を体験した高齢者がいて、警備との衝突でけがをする。抗議活動に火が付き、当局がその対応を誤って『差別だ』『不当だ』と県民感情が爆発。知事や県議といったエリートが本気で独立を考えると、瞬く間にそうなる」
 七二年の沖縄返還時に、「反復帰論」が盛り上がったことがあった。「民族の独自性が失われる」といった懸念からの主張だったが、その発想が「独立論」と結び付く可能性もある。
 ただ、佐藤氏は独立には反対だ。「米国、中国、日本という大国に囲まれ、その環境で生き残るには外交に相当なエネルギーが必要。そのコストを考えれば、安易に独立論は語れない」
 それに、もし独立しても、現実問題として国土に、米軍基地と自衛隊基地を抱えることになる。「非武装中立」を選択しても安全保障をめぐり米国、日本と難しい交渉をしなければならない。
 こうした実情もあり、これまで何度か「独立論」が注目されたが、盛り上がりはしなかった。だが、佐藤氏は「負の連鎖に入るかもしれない、初期的な雰囲気はある」と懸念した。
 実際、普天間飛行場の移転をめぐる日米合意について、沖縄県民には「民意が聞き入れられていない」と、以前にも増して不満が強い。

一国二制度で分権モデルに

 同県では昨年九月、識者や経済人が中心の「沖縄道州制懇話会」が「沖縄を『特例型単独州』として自治を強化」とする提言をまとめた。当初の道州制案では、沖縄は九州に組み込まれていたが、それに反発した。
 「琉球自治州の会」の大村博・共同代表は「当初案では琉球処分の完結編。沖縄の自治を確立させれば、中国との関係が深かった琉球時代の経験を生かし、東アジアの平和外交に重要な役割を担っていける」と期待感を表明。「単独州提言」には県民の多くから賛同が集まり、沖縄独立派からも一定の共感を得た。
 懇話会の座長、仲地博沖縄大教授は、そうした県民の受け止め方に「自己決定する沖縄にしたい、という意識の表れ」と解説した。
 九七年に「沖縄独立の可能性をめぐる激論会」を呼び掛けた、民主党の喜納昌吉参院議員は「将来的な独立には今でも賛成」としながらも「まずは『一国二制度』で、沖縄を地方分権の先行モデルとする。国庫支出金の一括交付金化などで、より強い自治権を与えるべきだ」と主張した。





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