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目次

まえがき これは、私の「遺書」にほかならない
序章 「ウチナーンチュ」の怒り
 いま沖縄で起きていること
  日本もアメリカも、沖縄人を犬猫並みに見ている
  燎原の火のように燃え上がった沖縄の怒りを消すな
 苦難の連続だった沖縄の歴史
  自ら墓穴を掘らされ、射殺された沖縄人メード
  「ヤマトの安全保障のため」に差し出された沖縄
 魂のふるさと・琉球
  床の間に刀を飾るヤマト、三線を飾るウチナー
  「平和と守礼」を生き方の柱として来たウチナーンチュ
  こんなヤマトは沖縄人の祖国じゃない
第1章 基地の街・沖縄の実態
 収奪と陵辱の歴史
  「基地のなかに沖縄がある」
  銃剣の前で軍用地として収奪された多くの農地
  沖縄を踏み台に経済成長を遂げた日本本土
 氷山の一角に過ぎない少女暴行事件
  アメリカ兵に暴行、殺害され六歳の少女
  婦女暴行事件の実数は発覚したものの百倍という
 危険と恐怖にさらされた半世紀
  補償もない被害者の実態
  荒れ狂うアメリカ兵たち
 なぜ沖縄だけなのか
  「私達に静かな沖縄を返してください」
  沖縄は本当に日本の国なのか
第2章 虐げられつづけてきた沖縄
 絶え間ない「ユーガワイ」
  武器のない平和な「守礼の国」
  幕藩体制のなかで組み込まれた差別構造
 ヤマトの差別的支配
  沖縄はいつまで“トカゲの尻尾”なのか
  ウチナーンチュを“陳列”したヤマトンチュ
  近衛師団で受けた私自身の被差別体験
 ソテツ地獄を生み出した貧困
  昭和大恐慌以前から構造化していた極度の貧しさ
  靴をかかえ、裸足で登校した農学校時代
  出稼ぎ先のヤマトで受けた差別と屈辱
 徹底的なヤマト同化政策
  ウチナーンチュも思った「天皇陛下のために」
  ウチナーグチで話した子供の首にさげられた「方言札」
  自らの理想を失った沖縄人の敗北
第3章 沖縄戦、その悲劇
 「本土防衛」のための沖縄戦
  日米双方の兵士を上まわる沖縄住民の死者
  沖縄の学童疎開を拒否した鹿児島
  「共生」どころか、「共死」「自死」への道
 わが子、教え子を戦場へ送る
  戦車に石ころのように踏みつぶされた教え子たち
  中学生まで駆り出された“根こそぎ動員”
  どこで果てたかさえわからないわが娘たち
  次男の自決現場で私は狂ったように踊りつづけた
 日本軍の犠牲にされた沖縄人
  「国体護持」のための“捨て石”
  日本軍に殺戮された沖縄人
  「ひめゆりの塔」の真実
 戦火に追われて
  悔やまれる母、兄との生き別れ
  投降、そして捕虜収容所へ
第4章 幻影だった「祖国復帰」
 米軍占領下の生活
  同胞の無残な死体処理からはじまった沖縄の戦後
  米軍のゴミ捨て場に通った日々
  天皇は沖縄を売り渡した
 「基地の街」と化した沖縄
  米軍の誤記からはじまった「コザ」という市名
  教職に復帰して見たもの
  人間の尊厳を捨てなければ生きていけなかった
 「屈辱の日」から「島ぐるみ闘争へ」
  銃剣とブルドーザーによる土地接収
  米軍に耕作地を焼き払われ、追われた農民たち
 命がけで土地を守る
  立法院議員として取り組んだ土地問題
  金につられ土地を売り渡したのでは沖縄の未来はない
  命を狙われるのを覚悟で行ったアメリカ
 コザ市長としての苦悩の日々
  「基地依存経済からの脱却」を訴えた市長選
  市民の生活という現実と理想のあいだでの苦悶
 コザ暴動と全軍労ストの渦中で
  荒れ狂う市民の気持ちが痛いほどわかった
  「あの暴動は、おまえがやらせたのか」
 幻だった「祖国復帰」
  “基地の街”で復帰運動の先頭に立つという矛盾
  大物政治家が言ってのけた「基地は牧場にすればいい」
  「悲願達成」と思ったものが……
第5章 いまこそ沖縄の「独立」を
 沖縄返還は「第三の琉球処分」だった
  ヤマトへの隷属を意味した本土復帰
  「祖国復帰」を「沖縄返還」と呼んだヤマト
 「ウチナーユー」を求めて
  「大和ぬ世から沖縄世」を歌うとき
  現実に存在した平和国家「琉球王国」
  沖縄人は日本人ではないという自覚
 沖縄の独自性とは
  アイヌと深い共通性をもつ沖縄
  世界に誇れる沖縄の文化
  沖縄の若者たちに蔓延する「ヤマト病」
 なぜ「独立」が必要なのか
  繰り返されてきた沖縄独立論
  私はなぜ「夢見る人」になったのか
 アジアとの共生による独立への道
  沖縄のタンメーにだからこそ見えてくること
  琉球人の尊厳と誇りを取り戻せ!

あとがき 思いのたけを……


大山朝常 沖縄独立宣言―ヤマトは帰るべき「祖国」ではなかった
定価1,680円(本体1,600円+税) 現代書林  1997年4月21日発行


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