討議資料

ニューヨークタイムズ記事  2013年7月5日  (英語の原文は下方にあります)


沖縄で日本と決別する話題が真剣味を帯びる

琉球独立党の屋良朝助氏。「今まさに独立を考える時が来たのです」(写真の説明)

ここは日本、沖縄の那覇の市場。露店にはいろいろなものがあり、豚の頭や絹の着物や反物も並べられ活気がある。市場の隅にある窓のない部屋で、最近までほとんどの人があえて真剣に考えようとしなかったある政治的なことを学ぶために沖縄の人々が集まっていた。それは琉球諸島が日本から独立を宣言するという「琉球独立論」についてである。

  年代がいろいろな24人ほどの人々が聞き入っていた。話し手は、沖縄が他県と同様な日本の一部であるという一般常識を否定し、その代わり、沖縄人は日本人とは異なる民族集団であって、過去に独立していた琉球諸島は1879年に日本によって強制的に占領されたのだということを述べた。その後、気分を軽くするために、主催者は『さよなら、日本!』という映画を見せてくれた。独自の小さな共和国になる架空の沖縄の島についてのコメディだ。

 「以前は、独立を話題にしたら笑われましたよ」と一人の話し手は語った。彼は、引退したジャーナリストの比嘉康文氏(71)で、沖縄の独立運動の歴史について彼が書いた本 (『沖縄独立』の系譜) は、いまオンライン上で話題の一冊となっている。彼は「独立が、米軍基地から解放される唯一の現実的な方法なのかもしれません」と語った。

 比嘉氏も別の支持者も、実際に沖縄のために独立を模索している沖縄人は少ないことを認めている。(沖縄は日本の最南端の群島で、140万の住民と日本を拠点にしている5万人の米軍兵士と海兵隊員の半分以上が暮らしている)。しかし、米軍の耐え難い駐留に不満を募らせ、沖縄が米軍の削減を訴えても日本政府が無視し続けていることが明らかになるにつれて、ますます多くの沖縄人、また地元の政治家や学者がこの数十年見たことがないような方法、つまり、日本から決別し、沖縄が独立するということを公然と平気で口にするようになった。

 5月には、沖縄の大学教授が率いる新たなグループが独立についてのシンポジウムを開き、250人もの人が集まった。平和的手段によって日本からの分離を提唱している沖縄にある小さな政党は、数十年の休眠状態を経て、息を吹き返した(琉球独立党)。もっとも、その候補者たちは最近の選挙までは票が伸びなかった。(注*)最近、沖縄選出の国会議員(照屋寛徳氏)は、自分のブログで、「沖縄がついにヤマトから独立へ」と題した記事を投稿するまでにいたった。ヤマトとは日本本土を指す沖縄の言葉である。

 「以前は、独立というのはお酒を飲みながら議論するものだったのですけどね、今は、琉球独立論がもっと真剣に受け取られています」と語るのは元沖縄県知事の大田昌秀氏。彼は独立運動のメンバーではない。

 独立運動はまだ始まったばかりで、積極的な支持者はせいぜい数百人にとどまっている。しかし、大田氏や他の人々は、独立運動は、この地域の影響力をめぐって日本が中国と繰り広げている争いを複雑化する可能性を秘めていると言う。

 その争いは最近拡大し、日本による沖縄の支配を疑問視する中国の半公式的なキャンペーンらしきものもそこに含まれるようになった。一部のアナリストは、このキャンペーンを、ここ数カ月の間に国際面の見出しをにぎわした尖閣諸島をめぐる論争における中国の立場を強化するための策略と見なしている。中国の学者の中には、19世紀後半の日本の帝国主義的膨張政策の時に併合された島々(沖縄本島やそれよりも小さな島々)の所有権の正統性について、日本国内でも意見の相違があると国際的に認識させるために、この独立運動を利用するように呼びかける者もいる。

 沖縄は、島の熱帯性気候や活気に満ちた音楽文化や低い平均所得という相違点があるために、沖縄以外の日本とは異なっているように見えていたしそう感じられてきた。戦略的に東アジアの中心部に位置し、かつて琉球王国という名前だった琉球諸島は、その併合以降、第二次世界大戦中の日本軍による沖縄の民間人の強制自殺や戦後押し付けられた米軍基地を含め、日本から苦痛に満ちた歴史を味わされてきた。

 長年、沖縄は、米軍基地に対する怒りの多くを合衆国に向けていた。しかし、4年前、当時の日本の首相の鳩山由紀夫氏が、騒々しい普天間の海兵隊基地を、以前の政府が承認したように、沖縄本島のもっと人口の少ない場所に移設するのではなく県外に移設するという選挙公約を破ったとき、その事態は変わった。その後、沖縄県民の多くは、怒りの多くを沖縄以外の日本に向けるようになった。沖縄以外の日本は、中国の高まる勢力を防ぐために、米軍の駐留は望んでいるが、犯罪や騒音や事故に対する恐れから基地の負担を自分たちが肩代わりしたいとは思っていないのだ。

 地元の首長や学者によると、沖縄県民が以前に公然と独立のことを話題にしたのは、合衆国が1972年に沖縄の戦後の占領を終える前にアメリカの支配に対して時として激しい不安があった時期だったという。

 「沖縄人は植民地支配の主人がワシントンから東京に替わっただけだったという感覚が高まっています」と語るのは親川志奈子氏(32)。彼女は琉球大学の博士課程に在学している学生で、琉球の民族的アイデンティティーの研究を進めるグループである「Okinawan Studies 107 (オキスタ107)」の共同創始者である。

 このような不満が広がっているために、琉球の住民は日本人とは異なる民族集団を形成しているという考え方を促進しようとするこうしたグループが増えていくのだ。それから、昨年オープンし沖縄の言語や文化に関する授業を提供する個人経営の学校である琉球ホールのような場が生み出されるのだ。

 最近のとある週末、1945年の米軍の沖縄侵攻の時の生存者が琉球語で話をするのを聞くために、約30人が、小さくて質素な内装の2階建ての学校に集まった。

 「私たちのアイデンティティーを取り戻すことが、独立を取り戻すための第一歩です」。普天間空軍基地のある宜野湾市のこの学校の共同設立者である照屋みどり氏(41)はそう言った。

 琉球独立の話題が沖縄から拡大して、東京でも耳に入るようになり、東京の保守的な新聞の中には、沖縄の独立を求める活動家たちを中国の「手先」と呼び始めるところも出た。

 活動家たちが手先であるかどうかはともかく、独立の運動を利用することについては中国でも議論があることは確かである。最近、中国の国営新聞である『環球時報(Global Times)』紙の社説は、「琉球諸島の独立の回復を求める勢力を沖縄に増やすことによって中国は日本に圧力をかけることができる」と書いた。

 中国が沖縄を所有しようとしていると考える人はほとんどいない。しかし、日本のアナリストたちは、この非公式のキャンペーンを、日本では尖閣諸島、中国では釣魚島という名前の群島を取り戻そうとして中国がくりだす諸々の試みの最新の戦略と見なしている。つまりこれは、本質的には、日本が中国の主張を無視すれば、中国はその主張をこれらの島々を超えて展開することになるだろうという警告なのである。

 「もし中国政府がこの問題を利用しようとするならば、それは私たちにとっても厄介な問題となるでしょうね」。そう語るのは、5月に独立に関するシンポジウムを開催するのに尽力した友知政樹沖縄国際大学教授である。

 友知氏や他の活動家たちは、かつて沖縄が独立していたとき、琉球人は中国に支配されることをほとんど恐れなかった、なぜなら琉球人は、日本に支配される前の数世紀間にわたって、中国とは友好関係を保っていたのだから、と語った。

 友知氏のグループは、パラオのような太平洋の島嶼国が、どうすれば将来の琉球共和国のモデルとなりうるかの研究を紹介するために2回目のシンポジウムを予定している。そこでの課題であり難題は、日本的な文化や生活水準に満足している沖縄人を説き伏せ、いかに琉球が独立すべきだと言うことの正しさを理解してもらうかということである。

 沖縄国際大学で経済学を専攻している比屋根義直氏(22)は「今、沖縄の独立が話題になっていますが、どれほど現実的なのでしょう?」と、問いかけた。「僕らの世代は日本人として育ったわけですからね」。

 市場での勉強会、映画上映会で、独立の支持者たちは、カラー印刷された「琉球共和国の通貨」を配ることによって、琉球独立が現実的であることに説得力をもたせようとした。彼らは、屋良朝助氏が琉球共和国の国旗と呼ぶ三星天洋旗の前に立った。

 「最近、日本人と琉球人の利害は明らかに離れてしまいました。今まさに独立を考える時が来たのです」と琉球独立党(かりゆしクラブ)の屋良氏(61)は述べた。

(おわり)

(訳者注*2013年7月21日の那覇市会議員選挙では前回465票から705票に伸びています)


この日本語訳はMikSの浅横日記
http://shin-nikki.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2013-07-09
を、もとに当方で若干修正したものです。

中文サイトはこちら
http://cn.nytimes.com/asia-pacific/20130709/c09okinawa/zh-hant/

カラー印刷された「琉球共和国の通貨」画像


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The New York Times   By MARTIN FACKLER  Published: July 5, 2013 2013年7月5日 

In Okinawa, Talk of Break From Japan Turns Serious

Chosuke Yara, the head of the Ryukyu Independence Party, last month. “Independence is an idea whose time has come,” he said.

NAHA, Japan — In a windowless room in a corner of a bustling market where stalls displayed severed pigs’ heads and bolts of kimono silk, Okinawans gathered to learn about a political idea that until recently few had dared to take seriously: declaring their island chain’s political independence from Japan.

About two dozen people of all ages listened as speakers challenged the official view of Okinawa as inherently part of homogeneous Japan, arguing instead that Okinawans are a different ethnic group whose once-independent tropical islands were forcibly seized by Japan in 1879. Then, to lighten the mood, the organizers showed “Sayonara, Japan!”, a comedy about a fictional Okinawan island that becomes its own little republic.

“Until now, you were mocked if you spoke of independence,” said one speaker, Kobun Higa, 71, a retired journalist whose book on the history of the tiny independence movement has become a hot seller online. “But independence may be the only real way to free ourselves from the American bases.”

Mr. Higa and other advocates admit that few islanders would actually seek independence for Okinawa, the southernmost Japanese island chain, which is home to 1.4 million residents and more than half of the 50,000 American troops and sailors based in Japan. But discontent with the heavy American presence and a growing perception that the central government is ignoring Okinawans’ pleas to reduce it have made an increasing number of islanders willing to at least flirt publicly with the idea of breaking apart in a way that local politicians and scholars say they have not seen in decades.

In May, a newly formed group led by Okinawan university professors held a symposium on independence that drew 250 people. A tiny political party that advocates separation from Japan through peaceful means has been revived after decades of dormancy, though its candidates have fared poorly in recent elections. And on his blog, a member of Parliament from Okinawa recently went so far as to post an entry titled “Okinawa, It’s Finally Time for Independence From Yamato,” using the Okinawan word for the rest of Japan.

“Before, independence was just something we philosophized about over drinks,” said Masahide Ota, a former governor of Okinawa, who is not a member of the movement.

“Now, it is being taken much more seriously.”

The independence movement remains nascent, with a few hundred active adherents at most. But Mr. Ota and others say it still has the potential to complicate Japan’s unfolding contest with China for influence in the region.

That struggle expanded recently to include what appears to be a semiofficial campaign in China to question Japanese rule of Okinawa. Some analysts see the campaign as a ploy to strengthen China’s hand in a dispute over a smaller group of islands that has captured international headlines in recent months. Some Chinese scholars have called for exploiting the independence movement to say there are splits even in Japan over the legitimate ownership of islands annexed during Japan’s imperial expansion in the late 19th century, as Okinawa and the smaller island group were.

Okinawa has long looked and felt different from the rest of Japan, with the islands’ tropical climate, vibrant musical culture and lower average incomes setting it apart. Strategically situated in the center of East Asia, the islands, once known as the Kingdom of the Ryukyus, have had a tortured history with Japan since the takeover, including the forced suicides of Okinawan civilians by Japanese troops during World War II and the imposition of American bases after the war.

For years, Okinawans directed much of their ire over the bases at the United States. But that changed four years ago when the Japanese prime minister at the time, Yukio Hatoyama, reneged on campaign pledges to move the bustling Marine air base at Futenma off Okinawa, rather than to a less populated site on the island as previous governments had approved. After that, many Okinawans shifted much of their anger toward the rest of Japan, which wants the United States military presence to offset China’s growing power, but is unwilling to shoulder more of the burden of bases for fear of crime, noise and accidents.

Local leaders and scholars say the last time Okinawans spoke so openly of independence was during a period of sometimes violent unrest against American control before the United States ended its postwar occupation of the islands in 1972.

“There is a growing feeling that Okinawans just exchanged one colonial master in Washington for another one in Tokyo,” said Shinako Oyakawa, 32, a doctoral student at the University of the Ryukyus and a co-founder of Okinawan Studies 107, a group promoting research into Ryukyuan ethnic identity.

Such discontent has helped nurture groups like hers, which seek to promote the idea that the islanders form a distinct ethnic group. It has also led to the creation of places like Ryukyu Hall, a privately run school that opened last year and offers classes on Okinawan language and culture.

On a recent weekend, about 30 people gathered at the school, a small, sparsely furnished two-story building, to hear accounts in the Ryukyuan language by survivors of the American invasion of Okinawa in 1945.

“Regaining our identity is the first step toward regaining independence,” said Midori Teruya, 41, a co-founder of the school in Ginowan, the site of the Futenma air base.

The talk of independence has grown enough that it is being heard in Tokyo, where some conservative newspapers have begun calling the Okinawan independence activists “pawns” of China.

Whether or not the activists are pawns, there is certainly some discussion in China about using the independence movement. Recently, an editorial in The Global Times, a state-run Chinese newspaper, said China could pressure Japan by “fostering forces in Okinawa that seek the restoration of the independence of the Ryukyu chain.”

Few believe China is about to pursue ownership of Okinawa. But Japanese analysts see the informal campaign as the latest gambit in China’s attempts to take over the smaller group of islands, known as the Senkaku in Japan and Diaoyu in China, by essentially warning that China could expand its claims beyond those islands if Japan ignores its arguments.

“It will create problems for us if the Chinese government tries to use this issue,” said Masaki Tomochi, a professor at Okinawa International University who helped organize the symposium on independence in May.

Mr. Tomochi and other activists said that in the remote event that Okinawa became independent, they felt little fear of a Chinese takeover because the Ryukyus had held friendly ties with China for centuries before the Japanese takeover.

Mr. Tomochi’s group is planning a second symposium to present research on how Pacific island nations like Palau could serve as a model for a future Ryukyu republic. The idea is to try to overcome what he sees as the main challenge his movement faces: winning over Okinawans who seem content with their Japanese-style living standards.

“People are talking independence now, but how realistic is it?” asked Yoshinao Hiyane, 22, an economics major at Okinawa International University. “My generation has grown up Japanese.”

At the movie screening in the market, independence supporters tried to bolster the notion that their idea is more than a fantasy by handing out color-copied “currency” of a Ryukyu republic. They stood before a blue banner with three stars that the organizer, Chosuke Yara, called its flag.

“Recently, the interests of the Japanese people and the Ryukyu people have clearly diverged,” said Mr. Yara, 61, the head of the tiny Ryukyu Independence Party. “Independence is an idea whose time has come.”


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