“独立”が主流派ともなれば、この男は恥も外聞もなく、何処からともなく我々のところへ入り込まぬとも限らない。すべての穴はふさいでおけ。


(1972年8月琉球独立党機関誌、三星天洋より)
天皇陛下より授与された勲章
1996年 勲四等旭日小綬章
旭 日 旗
大城立裕氏


1972年8月琉球独立党機関誌、三星天洋より

     5・15について(大城立裕氏批判)
                                評論家 前原朝賢(琉球独立党党員)

 歴史に、くぎりがあるとすれば、それはすべて支配の構造の変化がもたらすものである。5月15日もそういう範疇でいうところのくぎりであるが、そのくぎりめ、5月15日とは簡単に表現するならば、世界帝国主義内の権力のバランスが、此処琉球において米帝から日帝へ移ったことを意味し、それ以外のなにものでもない。
 ここで誤解のないようにつけくわえるならば、米帝も日帝も世界帝国主義の一部分としてあり、そういう意味では帝国主義に歯向うものにたいしては、協力一致して対処するものの、だからといってそれぞれの利害関係をわすれるようなことはない。それぞれ自己の勢力圏をのばそうと必死である。
 奄美諸島をとりかえし、小笠原諸島を手に入れ今又、沖縄県の実現をみた日本帝国主義は昔日の大東亜共栄圏をエコノミックアニマルというオブラートにつつみ、じりじりと自己の勢力をのばしつつある。
 それ故
 「日本国民」になることの意味とはすなわち我が、琉球が日本帝国主義の支配にくみこまれてそれの利益追求の為、有無をいわさず隷属させられることに他ならず、問題はすべてここから始まらねばならない。
 ところが、
 我が琉球には、地に足がつかず問題を観念の世界に遊飛させ迷路の闇にほうむりさろうとする人々が居る。
 このての人々は、施政権という名前の権力が我が、琉球人民の頭をとおりこしアメリカ合衆国から日本国へ委譲された5月15日を境に、その委譲になんらかの形で応援をしながらも、今その罪の大きさに愕然と色をうしない且つ、自己の罪を隠蔽しようと実に妙なことをいい始めている。
 今回はそのひとりである大城立裕(おおしろたつひろ)氏にスポットをあてて論理をすすめていくことにしようと思う。
 さて
 私は、沖縄問題という造語について、それが何時頃できたのか、つまびらかにしないが、
5月15日へ至る期間この造語は幾多の人々によってあらゆる位相から侃侃諤諤と論じられてきたこと知っている。
 大城立裕氏は、『話の特集』(1972年4月号)<いい気な話>において、(いわゆる沖縄問題について、もう何も言いたくないと思ったときに、ようやく難しい、いちばん難しい段階にさしかかっているとは、皮肉というよりなにか罰をうけているような気さえしている)とのべている。
 罰をうけている。
 さもあらん、
 大城立裕氏は日本帝国主義から"文学界"という装置を通して送られてきた"芥川賞"なる勲章をその胸にかざして以来、沖縄問題なる分野(そういう分野があるとすれば)において、とみに我が、琉球の民衆を愚弄してきたしそれは更に持続するであろう。そういう事実を彼自身、胸の内に秘めているからこそ、罰を云々という本音が知らず知らずのうちにでてくるのである。
 氏は、100年前の琉球処分は、あれで当時の内外情勢上やむをえなかった(沖縄タイムス)と吐露して日帝の走狗ぶりを発揮し、あまつさえ民族統一なる言葉をはっする。氏は日本と琉球を同民族ととらえ端的には本土同胞云々というが、けして日本と琉球は同民族ではない。
 ところが氏は非常にアクロバットがすきだとみえて、前掲『話の特集』で、(何も言いたくないのは、これだけ言ってもまだ分からないのか、やはり所詮は「異族」であるのか、という挫折感であり、もう分ってもらえなくてもいいや、というほどの気持である。)といい異族なる言葉で日本と琉球をわかつ。この矛盾をつくのはひとまずおいて、氏のように日本と琉球を単に異族という言葉でわかち、問題をとらえることは近視眼的に民族という言葉の概念それ一面からとらえることになり、それはおのずから日本帝国主義の買弁となっている部分を隠蔽する役目をはたす、事の真実は民族の違いのみにおいてあるのではなく、帝国主義と植民地という支配構造の関係の中にみいださねばならない。そういうことを総論としてのち、民族という各論が展開されねばならず、それを抜きにした形而上学的遊びは、原稿用紙の換金作業以外のなにものでもない。
 また2度目の「民族統一」をいましようとしてるが、これも当てになるものではない。(沖縄タイムス)というが、氏にひとつ警告しておく。
 民族統一ではなく、日本による琉球の占領なのであり、アフター・ケアがどうのこうのという次元でウロチョロするのは筋違いなのだ。

 さてさて
 こりずに『話の特集』から引用すれば、(こちらがひらきなおれば、むこうも−−というのは本土一般のことだが−−ひらきなおるだろう、ということである。復帰したいというから復帰さしてやったのに、まだそんなにごねるなら、俺たちは知らんから勝手にしろ、といいたげな顔が、そこらにたくさんある。そのことを、いちばん難しい時期といっている。)と氏は苦悩にみちたポーズでのべるが、まず私は後にも先にも復帰したいといったことはないという事実はもとより、日本帝国主義が、俺たちは知らん、勝手にしろという捨て台詞で恫喝するなら、我々琉球の民衆はたちどころに、上等だ!と受けて答えるだろう。
 それこそ我々の願うところであり、その時我々は“琉球独立”あるのみと、たからかに叫ぶであろう。
 ところで
 氏は女々しくも、泣きべそ面で尚も続ける。(たとえば、強姦されて女房にならざるをえなかった女の気持を、あなたはご存じか。私も知らないが、たぶんこの「沖縄のこころ」みたいなものではないか。征服して自分のものにしながら、たえず軽蔑し、差別してみせた薩摩、それをひきついだヤマト一般、それに文化的に同化していった沖縄は、もはや離縁しようたってできないのだ。いまごろからそれなら独立しろといえた義理か。それができるくらいなら沖縄問題などありはしない)
 ここに氏の宿命論がみごとに開花する。どうしてこうも卑屈にならなければならないのだ。
 文化的に同化したのではない。同化させられたのだ。この視点を故意に欠落させることによって、日本に反逆し抹殺された我が琉球の志士たちを永久にほうむりさろうとする。
 たしかに
 強姦されて女房にならざるをえなかった女の気持と沖縄のこころを結びつけるところは、さすが形而上学派で、お見事というより他はないが、私ならもうすこしましな表現をする。
 すなわち、強姦という過程における所有こそ、琉球を征服したところの、いやあらゆる階級支配の原基形態としての植民地主義に通ずる回路であろう。
 氏は女々しさを更に発揮して、離縁しようたってできないのだと、人々の同情心をあおるが、そんなことは犬でさえもやらないことなのだ。
 独立しろといえた義理か、だって。
 義理もヘチマもない。
 断固として独立を叫べばよいのだ。誰に遠慮することがあろう。
<いい気な話>の最後は泣きべそかきの氏が、それこそひらきなおって、沖縄問題は政治問題でも経済問題でもなく文化問題だ、と形而上学の世界へとんずらするところで幕になる。
 氏はキリスト教のミニ版を、ローカル沖縄宗教を、つくりだし、ひたすらブンカブンカといのれ!さすれば植民地も気楽なものであると民衆をたぶらかす。
 こういうてあいにこそいうべきなのだ!
 我々は文学の実験台でないと、
 大城立裕よ!
<いい気な話>とは夫子自身のおしゃべりではないのか。
 ところで、金田一京助監修の明解国語辞典によれば、文化とは自然を材料として人類の理想を実現して行く精神の活動とあるが、氏は日本文化に加えるべき何物(沖縄タイムス)かをつくりだそうと懸命であるらしい。
 いったい帝国主義の補完をすることがどうして人類の理想とつながるのか、おしえて欲しいものである。
 氏は実にあわれな男である。
 歯に衣を着せ、文化問題に逃げ込むことは、よってたつところの基盤が公務員ということでわからぬでもないが、今に“独立”が主流派ともなれば、この男は恥も外聞もなく、何処からともなく我々のところへ入り込まぬとも限らない。
 すべての穴はふさいでおけ。


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