2001年5月14日 朝日新聞31面

背景に強い不平等感
「独立論」種火消えず

 3月、スイス・ジュネーブ。国連の人種差別撤廃委員会に日本政府代表が初めて出席した。人種差別撤廃条約に基づき、加盟国政府や被政府組織(NGO)の報告を審議して、各国政府に対策を勧告する場である。
 在日外国人の状況などを報告した外務省幹部に、エクアドルの委員がこう言った。
 「政府報告は沖縄に触れていないが、ここは琉球王国という独立国だった。日本は差別的措置を強制してきたことを再認識すべきだ」
 委員の手元に、NGOリポートがあった。14ページをかけて「沖縄の民族差別」をつづっている。琉球処分、沖縄戦、米軍基地の集中……。「先住民族」である琉球の人々への不等な扱いは条約に反するーーという内容だ。
 委員らの質問が続いた。「沖縄の言語や文化は尊重されているか」「米軍による差別はどうか」。そして、委員会は日本政府に対し、03年までに沖縄の現状について報告するよう勧告した。
 予想外の事態に、外務省は驚いた。15日で沖縄が復帰して29年になる。「なぜ、今もこのような訴えが出るのか」。外務省は近く、沖縄の人は同じ日本民族などとする意見書を提出し、「条約対象外」と主張する方針だ。

 リポートは那覇で整体院を営む宮里護佐丸さん(35)ら沖縄の5人と東京のNGO「市民外交センター」(上村英明代表)などが、3年近くかけて練り上げた。
 宮里さんは5年前、東京で沖縄出身者らとともに「沖縄独立研究会」をつくった。どうすれば日本から独立できるかと、世界の小国独立や経済自立から考える集まりだ。リポートは「独立への布石」のつもりだった。
 基地が広がる沖縄本島中部で生まれ、復帰翌年に小学校に入学。教師は沖縄の学力を「沖縄の6年生が『床』ならヤマト(本土)の1年生は『天井』と言った。沖縄の言葉を話すと「きれいな日本語を使え」と指導された。高校を出て東京で運転手として働き、「沖縄人が日本語をしゃべれるわけない」と言った同僚と殴り合った。沖縄に戻り、中国に留学した。
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の留学生に「米国と日本は嫌い。中でも米軍基地を置かせている沖縄は嫌い」と言われた。スイス人の友人に守礼門や島々の絵はがきを見せたとき、友人は目を見張った。
 「日本とは違う」
 それが転機だった。植え付けられた劣等感とこだわりが次第に消えた。「僕らは少数民族」と言えた。

 沖縄は19世紀末から、いくつかの世(ゆー/時代)を経験した。明治期に日本に組み入れられ、敗戦で米国統治。そして復帰。ヤマト世、アメリカ世などと呼ばれる。
 独立論は時代の転機に台頭する。日本復帰前には独立を掲げる政党もあった。72年の復帰で下火になったが、種火は消えなかった。95年の米兵による少女暴行事件以来の基地縮小のうねりで、再び注目され、4年前の復帰の日には有識者の討論会もあった。
 沖縄サミットがあった昨夏、「うるま(琉球)ネシア」という同人誌が発刊された。作家やジャーナリストらが独立や自立について論争し、賛成しない人も持論を寄せる。編集委員の安里英子さん(52)は「考えは様々だけど、独立論が消えないのは文化の違いより、平等ではないという思いから。それが沖縄の抱える問題なんです」。

 「死者たちの切札」と題する小説が昨年、沖縄で出版された。海上基地に米軍と日本軍のヘリが並ぶ近未来の沖縄で、知事が基地の全面返還を要求し、独立をかけた県民投票が行われる。だが結末は「反対」が大差で勝つーー。
 作者の糸数和雄さん(54)は現実への皮肉を込めた。普天間飛行場の移設先に代償として巨額の国費が注がれ、沖縄振興のための新法が検討される。独立どころか自立さえできず、国に寄りかかる。
 「『金』でからめ取られ、人々の自信や心情がそぎ落とされていく。いっそヤマトが見放してくれたらなあ」
 「居酒屋独立論」という言葉がある。沖縄大学学長の新崎盛暉さん(65)が、高率の国庫補助によりかかりながら、酒席で独立談義をするような風潮を批判した。
 「現状打開のため、例えば基地の是非を投票で問えるような『自己決定権』の獲得こそが必要だ」
 どうすればそうなるのか。今はまだ、だれも描き切れていない。(川端俊一)


琉球と日本
琉球は日本の一部との考えは古くからある。近代には沖縄研究の創始者、伊波普猷が、民族的起源は同じとする「日琉同祖論」を唱えた。72年の復帰に向けた沖縄の運動には、米国統治への抵抗とともに、日本への帰属意識もあった。しかし、言葉が異なる部分も大きく、歴史も違うことから、民族としての独自性を主張する考えは根強い。戦争体験や基地の重圧からくる日本への疑念も、そうした主張の背景にある。

写真:
かつて琉球王国の王宮だった首里城。沖縄戦で焼失したが復元された。正殿へと続く道には数々の門があり観光客を迎え入れる=13日、那覇市で、撮影・安冨良弘



琉球独立党のトップへ行く