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ニューズウィーク日本版

山田文比古
フランスを通して見る欧州情勢


フランス領コルシカ島に忍び寄るカタルーニャ独立騒動の余波

2017年11月29日(水)19時00分



地方議会選挙前に盛り上がる民族主義勢力 -YouTube


カタルーニャの独立騒動の帰趨はまだ見えてこないが、同じような少数民族問題を抱えるヨーロッパの他の国々では、その余波が徐々に広がっている。フランス領コルシカ島もその一つだ。

コルシカでは、12月3日と10日に地方議会選挙が行われる。そこで、コルシカ民族主義勢力が多数を占め、議会を制するとともに、執行部をも手中に収める勢いなのだ。

コルシカのプッチダモン
その中心人物は、コルシカ民族主義政党の大同団結により結成された「コルシカのために(P・a Corsica)」のジル・シメオニとジャンギー・タラモニだ。独立推進派のタラモニは、コルシカのプッチダモンと称されることもある。



ジャンギー・タラモニ(左)とジル・シメオニ(中央)


コルシカ民族主義政党「コルシカのために」は、コルシカの独立を掲げるタラモニの「自由コルシカ(Corsica Libera)」と、自治の確立を目標とするシメオニの「コルシカを作り上げよう(Femu a Corsica)」が、2015年の地方議会(コルシカ議会)選挙第2回投票の前に統一リストを結成し、大同団結したことによって誕生した。

それが功を奏し、「コルシカのために」は同選挙(第2回投票)において35.34%を獲得し、民族主義勢力としてはコルシカ島の歴史上初めて第一党に躍進した。その結果、議長にタラモニが就任し、議会によって選任される執行部の長(首長)にシメオニが就任した。シメオニは、前年の2014年3月にバスチア市長に当選、コルシカ島の都市では初の民族主義勢力の市長を務めていた。また、今年の大統領選挙後の国民議会選挙では、「コルシカのために」連合の候補3人が当選、コルシカ島の配分全議席4議席のうち3議席を占めるという躍進を遂げた。

このように民族主義勢力が政治の表舞台で活躍するようになったのは、比較的最近のことだ。民族主義勢力が分裂していたことに加え、長年にわたる非合法活動の影響が、コルシカの政治に暗い影を落としていたからだ。

コルシカ独立運動の歴史
コルシカは、1347年以降4世紀に及ぶジェノバ共和国による支配を経て、1735年に独立を宣言した。しかし、ジェノバはそれを無視し、1768年5月に一方的にコルシカをフランス王国に譲渡した。翌69年5月に、フランスはコルシカを軍事力で制圧し、その支配下に組み入れた。奇しくもナポレオン・ボナパルトは、その3か月後、1769年8月にコルシカ島の中心都市アジャクシオで生まれている。

この島で民族主義が高まり、武装闘争を含む過激な独立運動に発展していったのは、1970年代以降だ。その前の60年代に、アフリカ植民地が次々と独立していくなかで、そこからの引揚者の一部がコルシカに移住してきた。しかも、それは国策として奨励され、移住者は島の東部平原地帯に土地を与えられた。そうして住みついた人々は、島の当時の人口の10%を占めたとされる。それに輪を掛けたのが、アルジェリアの独立に伴い、現地から引き揚げてきて、コルシカに住みついた多数の元入植者たちだ。その数は17,000人にものぼるとされる。

こうした新規定住者と現地住民との間にあった、言葉の違いや文化の違いが、島の人々に、コルシカ民族としての自覚を高めていった。加えて、島の経済発展が遅れていたことが、国の引揚者優遇政策とあいまって、島民の中で、移住者に対する反発を生むことになった。

そうした刺々しい雰囲気のなかで、1975年8月に、アルジェリアからの引揚者の経営するワイン醸造所で起きた、民族運動グループによる襲撃事件をきっかけに、コルシカ民族主義の炎が燃え広がっていった。1976年5月には、コルシカの独立を目指すコルシカ民族解放戦線(FLNC)が結成された。FLNCは島内で、そしてフランス本土でも、警察や軍、国の機関や要人への襲撃、時限爆弾や爆発物による攻撃などのテロ活動・武装闘争を繰り広げていった。それだけでなく、移住者の家や農園なども標的とされた。そのピークとなった1979年1月から3月の間の3か月間で、115件の爆破襲撃事件が島内で発生した。

1980年代に入ってからは、首謀者や指導者が相次いで摘発・逮捕されたこともあって、地下活動から街頭活動へと活動の場を広げ、収監されている指導者の釈放や政治犯としての扱いを求めるなど、政治運動にも力を注ぐようになる。こうして一時的に停戦は実現するが、停戦に同意しない一部の活動家による襲撃事件は後を絶たず、90年代にかけて不穏な情勢が継続した。

90年代には、FNLC内部で路線の食い違いや個人的関係の悪化などによる内部分裂が発生し、内部闘争にまで発展した。身内同士の内紛として、凄惨な襲撃事件がお互いの間で繰り広げられた。また、1996年12月には「クリスマス攻撃」の名のもとに、FNLCはコルシカ島内の警察や軍の施設を襲撃、1998年2月には、フランス政府から派遣され駐在していた州知事が襲われ暗殺された。

こうして、当初の標的とされた本土出身者や国の関係者だけでなく、身内や現地人にも多数の犠牲者が出るようになり、武装闘争への批判や闘争疲れがでてきた。加えて、活動家の多くが逮捕され服役するなかで、武装闘争路線は2000年代以降、一部の分派活動家を除き、下火になっていった。その挙句、ついに2014年6月にFLNCは、武力闘争の終結、武装解除と、非合法組織からの脱却を宣言するに至ったのである。

自治権の拡大
一方、1982年以降、ミッテラン政権による地方分権化の方向の中で、民族主義の高まってきたコルシカには他の地域より広い分権化が進められ、文化政策や地域開発、鉄道整備などの分野で地元の権限が拡大されるなど、一定の地方自治が認められていった。

現在でもコルシカは他の地域とは異なり、州にあたるコルシカ地方自治体(Collectivit・territoriale de Corse)の権限が強く、教育、放送、環境などの分野にまで、広く権限が認められるようになっている。また普通の州と異なり、コルシカ地方自治体の議会であるコルシカ議会の議長が執行部の長となるのではなく、それとは別に執行部とその長(首長)が議会によって選任され、執行部は議会に対して責任を負う(議会によって信任ないし不信任される)という特別の制度が取られている。

これに加え、さらに2018年1月1日から、コルシカ地方自治体と、それを構成する2つの県(オートコルス県とコルスデュスュド県)が合体して、単一の自治体、コルシカ自治体(Collectivit・de Corse)が誕生することになっている。新しい単一の自治体は、それまでのコルシカ地方自治体と二つの県が持っていた権限と予算を統括的に行使し、行政機関とそのスタッフも集中的に管理・運用できるようになる。また、それに伴い、道路整備、土地整備、経済開発、社会事業などの分野でも権限が拡大され、自治権が強化される。

こうした自治権の拡大は、民族主義勢力が長年求めてきたものだ。しかし、これは簡単に実現できたものではない。過去、2003年に同様の制度改正が政府との間でまとまったものの、同年7月に行われたコルシカ住民投票で、51%の反対により葬り去られた経緯がある。

このように、自治拡大の動きに対しては、島民は決して一枚岩ではない。元々の現地住民と、移住してきた新規住民(「大陸人」と呼ばれたり、フランス人と呼ばれたりして、島民やコルシカ人と区別される)との間には、越えがたい断絶がある。フランス世論研究所(IFOP)の調査によれば、元々の現地住民の割合(有権者ベース)はおよそ50%であるとされている。

こうした経緯を経てようやく実現した、今回の制度改正のもとで、新しい単一の自治体の議会を選出する選挙が、来る12月3日と10日に行われる。その結果改めて選任される新執行部は、それまで県と自治体に分散していた権限を統括的・集中的に行使し、新しく広がった分野での権限をも梃子にして、大きな影響力を持つことになる。

その選挙での勝利が有望視されているのが、民族主義勢力の「コルシカのために」である。短期的には、シメオニとタラマニが手を組んだことが大きいが、他の勢力が分裂・分散して、実質的な対抗勢力となりえていないことも、民族主義勢力にとってプラスとなっている。中期的には、バスチア市長選挙、コルシカ議会選挙、国民議会選挙など一連の選挙での勝利も、追い風となっている。

民族主義勢力の台頭
こうした民族主義勢力が、政治的な動きを強め、力をつけてきたことの長期的要因としては、FLNCの武装闘争路線が失敗し、非合法活動路線から脱却したことが大きく関わっている。それまで民族主義勢力のなかに、非合法活動と連帯する動きがあり、そのことが穏健な民族主義勢力の団結や結集を妨げていた。しかし、FLNCが武力闘争路線からの脱却を宣言した以上、いまや、民族主義勢力の間で、連携をとり、協力していくことにあたっての障害はなくなったのである。FLNCの武装解除声明は、民族主義路線にとって、新たな支持者を調達する方向に寄与したと言える。

しかし、もしその民族主義勢力がこんどの選挙で敗れることになる場合、かれらの一部が「パリとその一味に勝利を奪い取られた」として、武装闘争路線に戻る可能性も、一部では囁かれている。FLNCから分裂し、分派として活動を続けている「10月22日のFLNC」は、今年9月末に声明を発表し、来る選挙で民族主義勢力が過半数を制するよう呼びかけるとともに、自治の拡大が実現できない場合には、「カタルーニャで起きたような住民の蜂起」が起きると警告した。

一方、民族主義勢力が勝利した場合には、新しい自治体の下で、強化された権限をフルに行使するだけでなく、さらに、自治拡大の要求を強めていくことになるだろう。それが独立要求というところまでいくかどうかは、今の時点では見えていない。少なくとも、「コルシカのために」は、公約に独立までは掲げていない。

自治派のシメオニは「独立は我々のプログラムにはない」と言い切っている。ただし、自治権の拡大の延長として、コルシカ語の公用語化、完全な自治権を有するコルシカの特別の地位の承認、コルシカ民族の承認などを、要求している。しかしそれは、フランスを「一つにして不可分の共和国」とし、公用語をフランス語と定めるフランス共和国憲法に違反するため、憲法改正が必要となり、ハードルは高い。

独立派のタラモニも、「任期の間に果たし得る公約として、独立は主題になり得ない」としているが、独立が最終的な政治目標であることは隠さない。自身のアイデンティティに関し、「私はまずコルシカ人だと感じる。フランス人だとは感じない。しかし、反フランスでもない」と述べたり、あるインタビューで「わが『友好国』であるフランス」と発言したりしている。

この二人のいずれが主導権を握っていくのかによって、今後の流れも変わってこよう。今のところ、自治派のシメオニのほうが支持者も多く、優勢と見られる。そのシメオニは、「コルシカはカタルーニャとは違う」として、カタルーニャの独立騒動とは一線を画す姿勢を示している。



山田文比古 プロフィール

東京外国語大学教授。専門は、現代外交論、フランス政治外交論、日本外交論。1980年京都大学法学部卒。同年外務省に入省。沖縄県サミット推進事務局長、外務省欧州局西欧第一課長、在フランス大使館公使などを経て、2008年から現職。主著に、『フランスの外交力』(集英社新書、2005年)、『外交とは何か』(法律文化社、2015年)など。


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