討議資料

琉球新報2015年6月28日 論壇

地元で正確な情報得よ 百田氏のウソ学ぶ自民党議員 比嘉康文

 普天間基地は「もとは田んぼの中にあり、周りは何もなかった」、「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない」。自民党の若手国会議員ら約40人が、党本部で開いた憲法改正を推進する勉強会「文化芸術懇話会」で、作家の百田尚樹氏が語ったことが本紙(26日)で報道されている。その歴史や事実関係も調べずに無責任に在沖米軍基地を語ることは本土保守系知識人の常套手段のようだ。
 2013年10月18日の本紙のコラム「金口木舌」で、関東の大学生たちが嘉数高台を訪れた際、案内人から「ここには戦前六つの集落があった」との説明を受けてびくりしたことが紹介されていた。普天間基地について国際政治学の教授は「何もない原野に、米軍が適正な手続きを経て造った。その後、基地からの金を求めて、周りに住民が住み着いた。今になって反対する沖縄の人はおかしい」と教えたという。
 そのコラムを読んで、無知な大学教授がいたものだ、と思った。国際政治では正確な情報の入手が重要視されるだけに、「あいた口が塞がぬ」話だ。またも、同じことが繰り返されている。しかも、この国の政治を担う国会議員にウソを吹き込んでいる。
 戦前の普天間基地には京都の碁盤目のような道があり、きれいな集落だった。普天間基地に消えた集落では記録保存が盛んだ。その中の神山集落では郷友会が『神山誌』を発行している。
 『神山誌』によると、集落には東西に七つの通りがあり、碁盤目に区切られ整然としていた。首里城と普天間宮とを結ぶ道には琉球松が生い茂り、人々は「宜野湾並松」と呼び、誇りにしていた。屋敷は4百坪以上の広さで南向きの門構えの瓦屋根の民家が多く、金持ち集落と評判だった。復元した集落地図には美しい家並みがならぶ。今も「ウチカイ美らさ」と自慢しているという。「ウチカイ」というのは家並みのこと。決して「田んぼの中」にあったのではない。
 沖縄の2紙は百田氏のように普天間基地についてウソの報道は決して行わない。両紙の報道は県民も支持しており、貴殿が潰すことはできない。新聞に広告を出さない商品は不買運動すればよいことだ。軍事政権下の韓国で弾圧された新聞を物心両面で国民が支持した歴史もご勉強なされて下さい。
 普天間基地や2紙のことを学ぶならば、地元の方を招くか、または来沖されて見聞し、正確な情報を得るべきだ。政治家たちがウソの情報で政治を語れば国を亡ぼしかねない。今の自民党では将来が恐ろしくなる。(宜野湾市、73)

比嘉康文

 かりゆしクラブからお願い
  この比嘉康文さんの意見に反論なさりたい方は、本名、電話、住所をぜひ書かれて下さい。比嘉さんは選挙のチラシでも自分が作ったものには氏名、電話番号、住所を明記される方です。本人が確認できない意見は幽霊のことばであり、信用できないという考えの方です。以上

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