沖縄タイムス 論壇  2010年5月8日

琉球弧に新基地許さぬ 米ジュゴン裁判に期待   屋良朝助

 最近の報道を見ていると、「やはり沖縄に基地を押し付けるのか、ヤマトは」という気持ちになってしまう。去る4月25日に読谷村で開催された県民大会には、9万人余の県民が参加して沖縄への基地建設反対を表明した。その民意を踏みにじる行為は、かつての「沖縄は南の防波堤」という発想と何ら変わらないことを強く感じた。
 明治政府による琉球処分が強行された3年後に作られた文部省唱歌「蛍の光」の第4番の歌詞には「千島の奥も沖縄も八洲の内の守りなり」と書かれている。スコットランド民謡「ひさしき者」という曲に文部省が歌詞を書いたものである。つまり、沖縄を南の守りとしてしか考えていなかったのである。今回の在沖米海兵隊普天間基地の撤去、移設問題の動きを見ると、太平洋戦争で、まさに沖縄を本土の防波堤としたのと同じ発想である。
 4日に自衛隊機で来県した鳩山首相は県に、辺野古の海に杭を打つ方式で基地受け入れをお願いした。この方式は普天間基地の返還が決まったときに提案されたもので、一度は立ち消えになったものである。なぜ辺野古か、沖縄なのか、疑問でならない。
 そして、オスプレイやヘリコプターなどは鹿児島県徳之島に配備するという。オスプレイはよく墜落事故を起こす欠陥機と報道されている。それを琉球弧の島に配備することは新たな琉球処分でしかない。米軍基地を押し付けるという「琉球を犠牲にしたヤマトの国益」である。昨年、400年を迎えた薩摩の琉球侵略での奄美と沖縄からの搾取と明治政府がおよそ130年前に軍隊を引き連れ強行した琉球処分を思い出す。
 「辺野古へ基地を造らさない」という運動で、私はアメリカで行われているジュゴン裁判に注目している。レイチェル・カーソン女史の「沈黙の春」以来、アメリカで盛り上がった種の保存法は1970年12月23日に発した国頭山地の実弾砲撃演習場を放棄させた法律である。その詳しい経過は「鳥たちが村を救った」(同時代社刊)に譲るとして、ジュゴン裁判も同じ法律で提訴され、現在アメリカの裁判所で係争中である。
 環境破壊が進んでいる中で、種の保存は、健全な地球環境を保つには不可欠な要素であり、私たち人間の義務であることは、最近の国際常識である。日本政府が国防や抑止力を大義名分として新たな米軍基地を押し付けることは許されるものではない。沖縄でも種の保存法で演習場を放棄させた実績があるだけに、ジュゴン裁判を応援したいものである。
   (那覇市、会社代表、57歳)