討議資料

琉球新報 2010年11月1日 論壇

尖閣諸島の琉球政府切手  日本政府の“干渉”で幻に

 尖閣諸島周辺で起こった中国漁船の巡視船衝突事件で、那覇地検は、公務執行妨害の疑いで逮捕、送検されていた中国漁船の船長(41)を処分保留のまま釈放した。
 この事件で尖閣諸島の領有権問題がクローズアップされたが、政府は「日本固有の領土」と主張。中国は「中国のもの」と主張しているが、これは国連の海洋調査で尖閣諸島周辺に豊富な資源が埋蔵されていると発表した後の主張である。
 中華民国政府(台湾)も尖閣諸島の領有を主張しているが、それに対して李登輝氏は「日本のもの」と発言している。だが、台湾側は漁船で尖閣諸島の周辺海域に乗り込み、抗議行動を度々展開している。台湾はアメリカのガルフ社に鉱業権を与えたこともあった(『「沖縄独立」の系譜』)。
 台湾や中国が領有の主張を繰り返すのは日本側の態度に問題がある。竹島は韓国によって実行支配が行われているが、その徹を踏まないために日本は巡視船やヘリ、偵察機を尖閣諸島の海域に配置している。だが、トラブルは続発している。
 1972年5月15日、沖縄が日本復帰するまでは琉球政府として立法、行政、司法の三権分立があり、実質的には一つの国の形をとっていた。
 琉球政府は尖閣諸島の一つ魚釣島の地図切手の発行を計画し、大蔵省印刷局に印刷を依頼した。その地図切手が琉球政府の郵政庁に発送される段階で、外務省が知ることになり「中国や台湾などを刺激する」として、その使用禁止を強く迫ってきた。
 結局、外務省の圧力で琉球政府は発行を断念した。当時はアメリカ支配下の琉球政府だったので、日本政府が口出しすることは“内政干渉”に当たるのだが、外務省は強引に発行停止を迫ってきた。
 地図切手はその国の領土であることを明確に意思表示する手段として使われてきた。地図切手の発行の末、イギリスとアルゼンチンの間で起こったのがフォークランド紛争である。小さな切手だが、その発行をめぐって戦争に発展した事例は多い。日本も韓国が発行した竹島の地図切手を貼った郵便物をすべて受け取り拒否し、韓国に送り返したこともある(『地図切手の世界』)。
 しかし、当時の沖縄は日本から外国扱いされていた。しかも、米軍統治下であり、台湾や中国の反発、抗議も日本政府には及ばなかっただろう。当時の琉球郵政庁関係者は「尖閣諸島の地図切手を発行し、領土意識を明確にしていれば、現在のトラブルはなかったかもしれない」と話している。
屋良朝助(那覇市、会社代表、58歳)



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