討議資料


東京新聞 2015年5月10日4面 

【時代を読む】内山節  沖縄独立論という切り札

 辺野古の米軍基地の動きを見ていると、状況に変化が芽生えつつあるような気がしてくる。というのはこの問題をめぐる切り札を、沖縄の人々が持ち始めたのではないかとも感じられるようになってきたからである。
 基地建設を進める政府の切り札はお金でしかない。沖縄の振興予算をつけるとか、逆に予算面で追いつめるとかである。これまではそれが切り札としての役割を果たしてきた。ところが予算面で希望が叶えられなくなっても構わないという雰囲気が広がってしまえば、それは切り札としての役割を果たさなくなる。

 ところがいま沖縄では、じわじわと沖縄独立論が広がってきたのである。独立してしまえば、沖縄は日米安保条約の適用外だ。つまり全基地の撤去を要求できることになる。沖縄が独立する現実的な方法があるのかどうか。また独立の後に単独国家としてやっていけるのか、そういう事が議論に上がってくるようになってきた。もしも独立されれば日本は沖縄を手放すことになるのだから、政府としては認めがたい問題だろう。そうである以上独立論が広がっていけば、それが切り札になってしまう。本当に独立するかどうかは別として、そういう意見を持つ人々がふえていくと、政府はこれまでのような高飛車な態度はとれなくなるのである。

 振り返ってみれば、かつて沖縄は独立した琉球王国だった。沖縄の人々は遺伝子的には日本とのつながりが深いという研究もあるが、琉球王国は1429年に成立している。1609年に薩摩の侵攻を受け、江戸時代は薩摩の従属下にある独立国という立場だった。最終的に日本に併合されたのは、明治時代の1879年である。
 沖縄は、日本の時代よりも独立国の時代のほうがはるかに長いし、独自の文化や言葉を持っていた。

 20年ほど前に東北のある村長と話をしていたとき、その村長は
「不可能なことを承知で願望を述べさせてもらえば、江戸期の幕藩体制の時代に戻りたい」
と話してくれたことがある。
 その頃は江戸=東京に村が従属することはなかった、という意味である。自分たちで自分たちの世界をつくることができた。
地方創生とは、国のメニューに従って、地方や地域をつくることではない。地方や地域が自立性を持ち、独自の地域を創出していくことである。国の方針に従っているうちに地域が衰弱して言った明治以降の歴史を、どのようにして変えていくのかがここでは問われている。
  
 地方が力をもつということは、独自の考えや方針で、地方、地域がつくられていくということであり、それは一面では国と地方との間に新しい緊張感が生まれるということでもある。ときに国と地方との間に対立が生まれ、ときに協力関係を結ぶ。そういう自立的な力を地方がもちながら、独自の地方を生み出していくことが本物の地方創生である。

 とすると今日の国と沖縄の関係は、いま国が掲げている地方創生が本物かどうかを見極める試金石なのかもしれない。沖縄の人たちがつくろうとしているこれからの沖縄を尊重することなくして、地方創生などありえない。独立論が芽生えてくる背景にあるものは、基地問題だけでなく、国と地方の関係の問い直しでもある。(哲学者)




内山 節(うちやま たかし、1950年1月15日- )は日本の哲学者。特定非営利活動法人森づくりフォーラム代表理事など。存在論、労働論、自然哲学、時間論において独自の思想を展開する。
人物
東京都世田谷区出身。最終学歴は東京都立新宿高等学校卒業。
高校卒業後、大学などの高等教育機関を経ることなく、書籍などで自らの思想を発表しながら活動する哲学する人で知られている。長らく大学などの研究職についていなかったが、2004年から2009年まで立教大学の特別任用教員としても活動していた。
1970年代から現在でも、東京と群馬県上野村との往復生活を続けている。上野村では畑を耕し、森を歩きながら暮らしている...
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