表紙絵に添えて

竹 中 英太郎 

 自由な天地にするというのなら、沖縄だって、九州だって、いまのみっともない日本の支配下にあるより、よっぽどましだと思う。
 などというと、諺を逆に、負うた子に教えられ深みに入る――という傾向ととられるかも知れないが、その方なら、実はオヤジの私こそ、レッキとした戦前派。
 自分の眼の玉の黒い中には、是が非でもこんなイヤな世の中だけは作り変えねば…………などと思って以来もう50年に近い。親の因果が子に報いて、セガレの労が同じような道を歩いているようだが、それももう齢40才を超えている。この分だと、この妄執、3代続くのでなければ、とても陽の目を見ることはなさそうである。
 まだまだ苦労も修業も足りないセガレめが、大阪の釜ガ崎での夢を、東京の山谷での夢を、こんどは沖縄によせて、目下、うき身をやつしているらしいが、こんどはどうなることやら……と心配しながらも、その執念深い根性だけは天晴れ…などとも思うのだから、私ももはや老齢。
 そのセガレの要請で、40年近くもとらなかった絵筆を、このところ時折りとらされる破目になっているが、その度に、なんとも恥かしい気持である。まして、こんどの表紙絵は、いわゆる商業主義的出版とは全く無縁のもの。構想にも絵筆にも、全く動かず困ってしまった。まさに、辛じての責ふさぎ。
 だから、なろうことなら、1日も早く、新しい沖縄を志す情熱と夢と、意欲あふれる青年の若い手で、この古めかしいデザインがとって代られることを、心から期待する。
                       

(1972年6月)