国頭太福 2/3

ルートを攪乱している。
 野底土南がその著書「どうすれば通貨不安は解消できるか、付祖国琉球の世界における地位」という小冊子の表紙で、琉球列島を中心にした地図(北緯23度〜30度、東経121度〜134度)の下に[陸の小さきを憂うなかれ、大洋の広きを知れ!偉大な祖国LOOCHOOそこには無限の宝庫が眠る]という時、氏もまた前二者に理会していると見る。
 では結論といこう、
 我々琉球の祖先が、その昔サバニ等で海上を機動したように、且また倭冦の故事をおもえばかのマラッカ海峡の“恐怖”を此処東支那海で日本帝国主義につきつけることはたやすいといえる。
 琉球共和国とはどういう国家なのか?
 この設問に答えて、野底土南は去った1月27日(木)夜、沖縄タイムス社大ホールで催された『さらば幻視の祖国よ』(72映画&パネルディスカッション)においてこうのべている。
 「国家を廃絶するための国家」と。
或る新左翼の一派は、我々が、琉球独立を叫ぶことをもって、くだらない2段階革命論者といっしょくたにしようと躍起になっているが、我々は「民族独立行動隊」とは全然関係ないのだ。更にある種の権力盲者は我々をも自己の同類とみなし、つまりきみたちのいうことは、社会主義社会へ到る過渡としての権力プロレタリア独裁と同じことではないかというが、我々は如何なるものであろうとも権力とは縁がない。
 そのような愚問がでてくることを危惧して、竹中労は慎重にも過度の国家といっている(同『さらば幻視の祖国よ』から)し、又それの具体化としてこう叫ぶ。

   政府なき国家!
   官僚なき行政!
   党派なき議会!

 過渡としての権力、プロレタリア独裁という場合、そこには意識すると否とにかかわらず、権力というその言葉の概念規定を毫もそこなわせまいという意味があり、権力とはけしてみずからをして消滅せしむるものではない。
 歴史的にはプロレタリア独裁の萌芽として、ソビエトという形態があるが、そのロシア革命における“10月の理想”をしょってたつところのものは一国社会主義というスターリンの権力へむしばえていった過程であることを想起せよ!
 中間主義者・レーニン及びトロッキーは、ドイツ革命を心待ちにし、それによってプロレタリア独裁におけるある種の危険性(?)を防止できると考えていたようだが、

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