竹中労 7/20

薩摩の武力侵略からはじまる。

竹中労と嘉手苅林昌

  ユミヌ・チョンダラーの独白
 俺はユミヌ・チョンダラーである、琉球の独立を、まぼろしの人民共和国をゆめみる、夢の京太郎、ウチナーグチ(沖縄ことば)でいえば、ユミヌ・チョンダラーよ。
 京太郎とすなわち人形舞わし、叉の名を傀儡子(くぐつ)、大江匡房『傀儡子記』によれば"男は狩猟を事とし、時には木偶を舞わすほかに、弄剣弄玉の手品の類を演じ、女は脂粉を装って、倡歌(えろうた)・演楽以て媚を売ることをなりわいとする、人籍に登録されざる“流浪の民”である。声聞師、散所、河原者と呼ばれる賤隷・非人のいちまき、摂津西宮の戌神社の支配下に置かれ、京の都の辻々から全国の津々浦々を、肩から人形の箱を提げて流れ歩いた。
 サテ、くすむ人は見られぬ
 ゆめのゆめのゆめの世を うつつ顔して
 なにしょうぞ くすんで
 一期は夢よただ狂え
 世間(よのなか)は霰(あいれ)よのう笹の葉の上の
 さらさらさっ と 降るよのう
 ……堺の港に琉球国から波布(はぶ)の皮を張った三絃(さんしん)という楽器が伝来したのは、永禄の年間(1558〜69)だった。豪商高三(たかさふ)の嫡男隆達、その音色に魅せられて小歌をつくり、諸国を漂泊してうたいひろめる。なに、商都堺の由緒ある家の息子が、よくも思い切ったものだって? いや、武野紹鴎、今井宗久、千利休、自由都市、堺の実力者はことごとくチョンダラーと同じ階層の出身、隆達のうたぐるい、いうならば古巣に帰ったのである。三絃はやがて三味線と変じ、われら傀儡子と琵琶法師との合作で、“人形浄るり”に完成していく。
 それはさておき−−、琉球人、山内盛彬(せいひん)の『沖縄の人形芝居』の記述では、慶長

-68-