竹中労 3/20

 わが琉球に………
 まはえ、追風さらさらと
 鳴り鳴りて吹きそめて
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 明国に対する入貢、琉球171回、安南89回、爪哇37回、三韓30回−−日本は僅かに19回にすぎない(『明史』による)。15世紀における日中貿易、琉球によって中継された、「……活発な琉球商人の仲つぎ、自由都市である博多・堺への来航、日本商人の琉球への渡航によって」(日本の歴史、中央公論社版第10巻)
 文正元年(1466)、琉球船の畿内への渡航が減ると、室町幕府は貨物点検に関する規定をゆるめて来航をうながす策を講じた。すなわち、琉球貿易が堺商人と幕府の両者に利益をもたらしていたことを物語る。
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 尚泰久の寵臣、金丸は権謀術策の人、離島伊平屋の百姓の倅だったが、早魃の年に水を盗んで追放され、1441年−−27歳のとき、当時越来王子であった泰久を頼って、その家人となる。20年間仕えて、貿易財務長官にとり立てられ、泰久没後も首里宮廷に重きをなした。
−−口碑によれば、金丸の父親は日本から漂着した浪人であったという。
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 さて、首里から那覇泊港への街道に、安里大親(あさとうふや)なる怪人物が屋敷を構えて、「花ノ(あした)、月ノ(ゆうべ)に酒席ヲ設ケテ知己ヲ迎エ」(球陽)ていた−−
 この人物の正体、琉球の"正史"にはつまびらかでない。一説によれば、尚泰久に謀殺された豪族護佐丸の実兄であるといい、また一説では、博多、堺との交易を宰領する政商でもあったともいう。伊波普猷著『琉球史上における武術と魔術の考察』には、安里大親は神がかりの予言をよくしたとあるから、妖僧ラスプーチン、あるいは穏田の行者のごとき呪術者だったのかも知れない。
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 金丸、那覇ヲ往来ス
 安里、タマタマ門外ニ公ヲ見テ
 スナワチヒザマズキテ曰ク
 ワレ公ノ相ソ見ルニ
 天日ノ表、竜鳳ノ姿アリ

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