竹中労 1/20

 沖縄/ニッポンではない

ルポライター   
竹 中  労 



       断    章
 1969年10〜11月、12月、翌70年6月、72年1〜2月、4月と、都合5度にわたって琉球弧をよぎり、私は1つの結論を得た、沖縄ニッポンではない。
 彼らはウチナーンチュ(沖縄人)、我らはヤマトゥンチュ(日本人)である。その認識に立てば、これまで沖縄について語られてきた復帰、奪還、解放等々のなべての論理、まやかしであることが自明となる。
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 沖縄人、独特の風貌を有する。
 ……浅黒い肌、濃い眉、つぶらな目、とりわけ女の髪、ゆたかで粗く剛い。海ぬさし草や、あん(ちゅ)らさ(なび)く、あかね色に熟れた美童(みやらび)の体臭、潮の香りがする。
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 琉球弧の海は美しい−−、名護浦の薔薇の残照、昼顔とアザミの花咲き蝶翔ぶ宮古島の与那覇前浜、風の八重山白帆の怒涛、西表の野蛮なまでに透明な海の青。島々に沿って、黒潮は北上する、太古、人々は南方から漂着した、アマミキヨ(海の人)と称する種族、久高島に定住する、やがて彼らは沖縄本島の知念に渡り、国をつくった。
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 "創世"の伝説、本島北部、本部運天港の入口に、古宇利という小さな島がある。この世のはじめ、少年と少女がそこに天降った。素裸の子供らに天は(むーちー)を降らせ、彼らは日々餓えることがなかった。
 ある日、少女は想った。もし餅が天から降ってこない時がきたらどうしよう。少女は少年と語らって、餅を食べ残したくわえた。するとその翌々日から、天はパッタリと餅を降らせるのをやめてしまった。
 とうとうまえされとうとうまえ
 大もちやともちおたべめしょうれ
 とうとうまえ
 うまぐる拾うておしゃげやべら

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