前原朝賢 3/4

 さてさて
 こりずに『話の特集』から引用すれば、(こちらがひらきなおれば、むこうも−−というのは本土一般のことだが−−ひらきなおるだろう、ということである。復帰したいというから復帰さしてやったのに、まだそんなにごねるなら、俺たちは知らんから勝手にしろ、といいたげな顔が、そこらにたくさんある。そのことを、いちばん難しい時期といっている。)と氏は苦悩にみちたポーズでのべるが、まず私は後にも先にも復帰したいといったことはないという事実はもとより、日本帝国主義が、俺たちは知らん、勝手にしろという捨て台詞で恫喝するなら、我々琉球の民衆はたちどころに、上等だ!と受けて答えるだろう。
 それこそ我々の願うところであり、その時我々は“琉球独立”あるのみと、たからかに叫ぶであろう。
 ところで
 氏は女々しくも、泣きべそ面で尚も続ける。(たとえば、強姦されて女房にならざるをえなかった女の気持を、あなたはご存じか。私も知らないが、たぶんこの「沖縄のこころ」みたいなものではないか。征服して自分のものにしながら、たえず軽蔑し、差別してみせた薩摩、それをひきついだヤマト一般、それに文化的に同化していった沖縄は、もはや離縁しようたってできないのだ。いまごろからそれなら独立しろといえた義理か。それができるくらいなら沖縄問題などありはしない)
 ここに氏の宿命論がみごとに開花する。どうしてこうも卑屈にならなければならないのだ。
 文化的に同化したのではない。同化させられたのだ。この視点を故意に欠落させることによって、日本に反逆し抹殺された我が琉球の志士たちを永久にほうむりさろうとする。
 たしかに
 強姦されて女房にならざるをえなかった女の気持と沖縄のこころを結びつけるところは、さすが形而上学派で、お見事というより他はないが、私ならもうすこしましな表現をする。
 すなわち、強姦という過程における所有こそ、琉球を征服したところの、いやあらゆる階級支配の原基形態としての植民地主義に通ずる回路であろう。
 氏は女々しさを更に発揮して、離縁しようたってできないのだと、人々の同情心をあおるが、そんなことは犬でさえもやらないことなのだ。
 独立しろといえた義理か、だって。

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