前原朝賢 2/4

5月15日へ至る期間この造語は幾多の人々によってあらゆる位相から侃侃諤諤と論じられてきたこと知っている。
 大城立裕氏は、『話の特集』(1972年4月号)<いい気な話>において、(いわゆる沖縄問題について、もう何も言いたくないと思ったときに、ようやく難しい、いちばん難しい段階にさしかかっているとは、皮肉というよりなにか罰をうけているような気さえしている)とのべている。
 罰をうけている。
 さもあらん、
 大城立裕氏は日本帝国主義から"文学界"という装置を通して送られてきた"芥川賞"なる勲章をその胸にかざして以来、沖縄問題なる分野(そういう分野があるとすれば)において、とみに我が、琉球の民衆を愚弄してきたしそれは更に持続するであろう。そういう事実を彼自身、胸の内に秘めているからこそ、罰を云々という本音が知らず知らずのうちにでてくるのである。
 氏は、100年前の琉球処分は、あれで当時の内外情勢上やむをえなかった(沖縄タイムス)と吐露して日帝の走狗ぶりを発揮し、あまつさえ民族統一なる言葉をはっする。氏は日本と琉球を同民族ととらえ端的には本土同胞云々というが、けして日本と琉球は同民族ではない。
 ところが氏は非常にアクロバットがすきだとみえて、前掲『話の特集』で、(何も言いたくないのは、これだけ言ってもまだ分からないのか、やはり所詮は「異族」であるのか、という挫折感であり、もう分ってもらえなくてもいいや、というほどの気持である。)といい異族なる言葉で日本と琉球をわかつ。この矛盾をつくのはひとまずおいて、氏のように日本と琉球を単に異族という言葉でわかち、問題をとらえることは近視眼的に民族という言葉の概念それ一面からとらえることになり、それはおのずから日本帝国主義の買弁となっている部分を隠蔽する役目をはたす、事の真実は民族の違いのみにおいてあるのではなく、帝国主義と植民地という支配構造の関係の中にみいださねばならない。そういうことを総論としてのち、民族という各論が展開されねばならず、それを抜きにした形而上学的遊びは、原稿用紙の換金作業以外のなにものでもない。
 また2度目の「民族統一」をいましようとしてるが、これも当てになるものではない。(沖縄タイムス)というが、氏にひとつ警告しておく。
 民族統一ではなく、日本による琉球の占領なのであり、アフター・ケアがどうのこうのという次元でウロチョロするのは筋違いなのだ。

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