太田竜 2/7
しかし、「独立」はダメだ。
これは日本帝国首脳のマヌーバーの極限であり、そのあやつり人形が新川である。
琉球共和国が、反米であろうと親米であろうと、共和国に関係ない連中が口出しすることは大きなお世話だ。
まず第一に、独立すべきか否か。
これが原点だ。
琉球国は独立すると決断する。しかるのちに、反米か親米か、反日か親日か、反中国か、親中国か、琉球王国か、琉球共和国か、琉球人民共和国か、琉球ソビエト共和国か。これらの問題についてすでに決断した同志たちの間で討議することができる。
新川というエリートペテン師よ。
お前は、日本(邪蛮)復帰がどうのこうのと、役にも立たぬ愚痴をたらたらとインテリ仲間うちでしゃべっているだけのことなんだろう。
そうであるかぎり、こういうインチキ野郎には、琉球共和国の性格、方向、政策について、一言だって口出しをさせない。
(二)
琉球共和国の同胞は、『水滸伝』を必ず学ぶべきである。
私は『週間読書人』3月13日号(「革命・情報・認識(よみかきのしかた)」24回)で、「水滸伝」の6つの次元についてのテーゼを提出した。
ここにさらに補足しておかねばならぬ。
カール・マルクスという1人の俗物西欧市民(このマルクス規定の証明については私の論文集『辺境最深部に向って退却せよ』(三一書房刊)を参照のこと。)の革命の世界とはつまり、「水滸伝」以前の次元に位置しているということを。
「水滸伝」の第1の世界は帝国の内外に、山賊、水賊、海賊が横行しているところから始まる。これが革命について語り得る最初の兆候である。
マルクスの革命論は、この世界の手前のところにしか到達していないのである。要するに、マルクスの道は西欧市民社会の磁場の内にとり込まれている。
(三)
他ならぬアメリカ合衆国の大都市は、右のごとき局面に一歩足をふみ込んでいる。このテーゼについて、いまさら証明を必要とするとも思えぬ。
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