武智鉄二 1/1
私の中の琉球
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劇作家
武智 鉄二
われわれにとって、琉球人はあきらかに異民族である。
これは私の専門事項であるが、琉球舞踊の身体行動の原理は、明白に漁労民族のもので、農耕的な日本人の身ぶりと、まったくちがい。
その音楽もポリネシア系のもので、日本人のうたごえとは、基本的な成り立ちからして、ちがっている。
身体行動がちがって、うたごえがちがうということは、民族学の根本原理に照らしてはっきりと異なる民族であることを、さし示している。
ことばが似ているといって、フランス語とスペイン語ほどもちがう両国語が、同じなどとは、義理にも言えまい。
琉球はあきらかに日本に侵略された植民地であったし、その植民地収奪を具現したのが、沖縄県知事奈良原繁の施政であった。
この植民地的収奪を、理論武装で合理化しようとした柳田国男民俗学を、私はもっとも憎む。彼はシュヴァイツァーのヒューマニズム理念に匹敵するほどの欺瞞をなしとげた。
本来異民族である琉球が、どうして日本へ復帰できようか。
謝花昇は彼の日本化の過程において、当然の報いとして狂ったのであり、さいごまで純粋に琉球人であったその妻の清子に、私は琉球の悲劇の全負荷を看て取りたい。
その意味で、『琉球怨歌』は、現代の狂女物である。狂わぬ人こそ、狂っている。
どうして、琉球人は、本土復帰などと、ばかげた想念にとらわれるのか。
琉球は独立して、琉球人民共和国となるべきであった。
琉球人が異邦人であればこそ、等しく他民族を尊敬するように、私は琉球人を尊敬する。
このささやかな尊敬の念を、現代の琉球処分を許すことで、琉球人自ら投げ捨てようとするのであるか。
(『琉球怨歌』演出に際して』)
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