大島渚 2/2

 『琉球怨歌』において、沖縄人たちは一言も喋らず、ただ踊るのみである。琉歌は歌われるが私たちは十全には理解できないだろう。私たちはただ解説者と圧政者奈良原の日本語を通じてしか事態を知ることはできない。これはしかたないことなのである。これが、日本人で日本で沖縄を主題に語る時の、唯一の正しい構図であると私は考えているのである。
 私は、沖縄へ行く前から大体においてこういう考え方をしていたのだが、それを最終的に確認しえたのは、やはり沖縄での見聞尾と、そこで何人かのすぐれた人びとの出合いによるものである。その意味において、私はこの作品を、我が狂騒のメフィストフェレス竹中労と、彼がその時一緒にレコード『沖縄春歌集・海のチンボーラー』をつくった沖縄の芸術家たち、作曲家普久原恒男、放送ディレクター上原直彦、歌い手嘉手苅林昌、山里勇吉、画架与那朝大、詩人備瀬勝、国吉真幸等の人びとに、心からなる感謝をこめて捧げるとともに、厳正なる批判をあおぐものである。

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