大城正男 18/19

何ら結論の出せない現在、まして元手とてなく、職とてなく、山原から、離島から必然的にそこへ移行した彼女達にとって、沖縄のこの情況の考慮もなく、日本テーコクの形式のみの押しつけ売防法が、何を意味するか、こんなことは判り切った話ではないか。カタブツというよりむしろカタワな、教えられたイ、ロ、ハ以外のニは知らぬという能なし屋良に何が保証出来る。
 差別は、また内なる差別を助長し、底辺は限りない。そして彼女達も、また限りなく下降せしめられる、内なる差別によって。
 当然のことながら、沖縄解放という時、彼女達の解放がまず含まれていなければならない。彼女達こそが、真に解放されなければならないものであり、真に革命を渇望している者だからである。最も差別されている者こそ、真先に権力を告発する権利を有する。その意味で、彼女達を切り捨て、あるいは踏み台にしている右も左も含めた一切の運動は、まやかしだということを改めて宣言しておく。
 すべては差別が根源である。いかに形をよそおうとも、そこに差別が存在する限り、それは解体、壊滅せしめねばならぬ体制、組織である。人間を人間として扱わない情況を許容する体制があれば、いかに名称を変え、いかなる主義主張があろうとも、それはやはり打倒されるべき体制である。大義名分なる組織という名のもと、差別そのものが内部に促進され、既成左翼にそれがどうしようもなく蔓延し、新左翼と称する連中にもその萌芽が芽生えている現在、これら運動すべてにも差別される側からの告発を叩きつけていくだろうことを、ここに約束する。
 主義主張の為に闘うのでなく、倫理の為でなく、社会正義の為でなく、まして名誉と栄光の為でなく(ここは盗作)、むしろあくなき憎悪の為に闘う。殴った者に対し、2度蹴っ飛ばさんが為、ナイフで切りつけた奴には大砲で報復せんが為に闘う。差別された人民はそのことをよく自覚している。内に打倒すべき敵への憎悪を秘めておくことが、不可欠な要素である。
 闘いとは、運動とは、そこから出発せねばならない。底辺から起き、上に目標を定める。そういう闘いを進めていく中で、己れもまた自己を変革する。憎悪の炎を燃やせ。憎悪こそが我々を闘いに駆り立て、それを持続させうる支柱となる。
 差別するものに対しては、その根源を絶たねばならず、それとの闘いであるが、その間のイラダチを解消さえたいと思うのなら、直接それを身近な対象にぶつけるとよい。例えば、自衛隊が駐屯し、那覇、コザの町をそのユニホーム姿で歩かれるのがたまらないと思ったら、自分の感情に逆らわず、ごくごく素直な気持で路地裏へ引っ張り込んでぶん殴ってもよい。帽子がゆがみ、服が汚れ、顔をはらして

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