大城正男 15/19

かっての徴兵検査において模範村になったことを今でも自慢するようになる。
 このパラドックスを理解せよ。
 このパラドックスが理解出来ない者達、あるいは単純にそこをのみ取りあげて、天皇制の許容から軍国主義復活のきざしと、ストレートに結び付けて考える者達、君達もまた、かって彼らを差別し集団自決に追い込んだ、赤松を隊長とするあのヤマトゥンチュ達と何ら変わらぬことを知れ。
 理論の飛躍だと、極論だと言うか。
 いいや、底辺に生きる民衆の上昇志向性、このパラドックスが理解出来ないということは、とりもなおさず、己れの生きている市民社会の地点からしか彼らを見てないということであり、これでは理解出来ないのも当然であり、彼らを理解出来る地点にまで下降しようとしないそういう無自覚さが、彼らをこれまで切り捨てて来た。そして今はやりの天皇制がどうのこうのという問題に発展(?)せしめ、軍国主義復活がどうのという論議に終始したことにより、それの真意たる差別の問題をすり変え、隠蔽してしまうこと、これもまた差別なのだ。
 当然のことながら、この上昇志向性、言葉を労さずとも、かって日本に徴用された朝鮮人達、部落の人間、アイヌ、彼らならただちに理解するだろう。彼らも同じく差別された人民だから。
 市民社会から切り捨てられた人間が市民社会へ復帰願望するのは当然であり、その差別が強ければ強い程、この上昇志向性も強くなる。在日朝鮮人が、部落の人間が出身を隠したのはそれであるし、沖縄も同じく、日本人としてみられるには、普通でいう日本人より、より日本人的でなければならない。それ故に、かって大宅壮一が沖縄人を称して「動物的忠誠心」と言ったように、より以上の日本人にならなければならなかったし、犬にもならなければならなかった。それが差別された人民の悲しいまでのさがなのだ。
 戦時中、日本の強い兵隊さんが「おかあさん」と叫んで死んで行ったのに対し、根も葉もないスパイ容疑で日本兵に処刑された沖縄人は「海ゆかば」を唄いながら死んで行き、そして捕虜になるよりはお国の名誉の為に自決した方がいいと教えてくれた日本兵は降伏し、教えられた沖縄の婦人、老人達は一つの手榴弾を4、5人で囲み、死ねない者はカマでのどを突いた。まさにまさに、より日本人的ではないか。
 かって模範村だったことを自慢するのも、皇太子の写真を額縁に入れて飾っておくのもこれと同じなのだ。ただいたずらに、それを天皇制、軍国主義復活加担にまで

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