大城正男 14/19

暴力反対、反戦平和、まことしやかな言葉のオブラートに包まれ、己れの存在さえ否定され、自らの言葉でしゃべるこおも禁じられ、奪い取られ、飼いならされ、それにさえ気のつかぬ連中を集めて、何が「証言」だ。むしろ、こういうふうにしてヤマトウグチで語らせることにより、狂気を押さえ、先程の座談会に欠席した人達のような(同書には「あった」という表現が使われているが、むしろ「あった」というより、それが大部分であっただろう。)真にまだ語られていない部分、真に語らなければならない部分を歪曲化し、そして隠蔽してしまうこと、その罪の方が大きい。その情況をこそ憂え、その情況こそが、谷川氏の思惑とは反対に最も恐いのだ。
 「沖縄の本土なみ戦後が始まる」ということは、沖縄戦すべても帳消しにしてしまおうということであり、改めて日帝への編入をはかろうとすることに他ならない。
 我々は沈黙をさらに守り、本土並み戦後ではなく、沖縄戦そのものの戦後を、その緊張状態をさらに持続させて行かねばならない。沈黙を破る時は、我々自らの言葉でなければならない。
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 皇太子結婚の時の写真が額縁に収められ、床の間に飾られているのにカメラを向けながら「それは島」の製作者達は言う。「ああいうことがあったこの島で、20数年経った今日でも、まだ天皇制を許容する情況がある。不思議だ。そしてそのことがこのドキュメンタリーを撮ることのモチーフとなっている。」と。確かに市民社会のぬるま湯で生きて来たヤマトゥンチュにとっては不思議であろうけれども、それが1本のドキュメンタリーを撮ることのモチーフとなるには、いささか内実に乏しいのではないか。
 僕なら、そんな疑問など一言で答えてしまえるからだ。曰く「それは虐げられた者達の上昇志向性だ。」と。「差別され、切り捨てられ、底辺に生きる者達の性だ。」と。
 「島はいま、集団自決を遠くすぎさったものとして語ろうとしない。」という字幕を出しつつ、かって渡嘉敷村が徴兵検査の時、文部省から大日本帝国第1位の折り紙をつけられ模範村となったことを、島民が今でも口に出して自慢するのをさらに不思議がる。日本本国でされ、今時皇太子の写真を額縁に入れて飾っている家は少ないだろうし、沖縄本島においてさえ、それはなかったのに、まして、天皇の名において集団自決を強いられたこの場所で、とてもいいたげに。
 全く反対なのだ。
 沖縄においても、そこが最も差別され、虐待された、一番先鋭なる場所故にこそ、

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