大城正男 13/19

ないしは涙するというたぐいのものではなく、ウチナーンチュが語るというのは、棍棒を振り廻すことであるし、狂うことであるし、踊ること(カチャーシ)なのだ。差別され、虐げられ、圧殺された人民の叫びとは、権力の秩序然とし、筋道の通った論理性のある言葉で、演技過剰ぎみに、やたら形容詞をくっつけてしゃべることではない。
 同書(下)「追憶の苦しみ」の中で「最初の喜屋武の座談会で予定していたのに「私に戦争の話をさせると、狂人になって、あなたがたに乱暴を働くおそれがあります。」といって出席をことわった婦人があった。」とあり、そして、それを思い浮かべると、腹立たしくなって理性を失い、だれにともなく手あたりしだいに目の前の物を投げつけずにはいられない気持になるということであろう。」と当然のことを、阿呆らしくもさして説明に足るとは思えないもどかしい言葉で結んである。しかし、まさにそういうことなのだ。手あたりしだい物を投げつけるということが、語るということなのだ。ウチナーンチュにとっては。怨念の噴出なくして、語るなんてのは欺瞞であり、誰に語ることなのか。
 ヤマトゥンチュとウチナーンチュは共に沖縄戦場で戦いはしたが、同じ戦争体験を持つものではない。「軍の命令だ」という奇妙な、勝手に作られた大義名分でもって先祖代々の亀甲墓、すなわち自然防空ごうから追い出した日本兵達と、追い出された婦人、子供、老人達とが、同じ体験を持つ訳がない。ましてや、1億玉砕を叫びながら、結局、米軍の上陸以前に降伏した日本本国で生活していた人と、1坪あたり20発の艦砲が打ち込まれた沖縄で生活していた人が、同じに語るなんて出来る訳がない。ウチナーンチュは米軍の艦砲射撃の中を逃げまどい、見つかった防空ごうからは友軍だと思っていた日本兵に追い出され、わずかな食料は収奪され、泣き叫ぶ子供は絞め殺され、軍の作戦だからと集団自決を強いられ、右も左もただただ敵でしかなく、全く孤立したままの体験を持つ。それを、誰に語るというのか、かって自分を殺そうとし、仲間を殺した相手にしゃべるというのか、それも相手の言葉で。
 その意味で「沖縄の民衆がその重い口をやっと開いて沈黙を破りはじめたこんにちこそ、沖縄の本土なみ戦後が始まるといえる。」と谷川氏がいうこの情況こそ、まず疑ってかからねばならない。
 どのように沈黙が破られているのか。インタビュー形式で座談会を持ち、そして仲良くテーブルを囲み、ヤマトウグチにてしゃべらせるというのか、乱暴いけませぬ、

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