大城正男 12/19

あの焦土のイメージ、僕に言わせれば、サラリと撮り流した感じ故になお強烈に印象に残ったし、そしてそのイメージが風化した島とダブルのだ。
 こんなヤカラには、谷川健一氏の(沖縄の証言(上))この言葉を持ち出して来ればこと足りる。ちょっと長いが引用しよう。
 「苦しみが大きすぎる時、人は告白する衝動を失い、それにふれることを極度に嫌悪する。沖縄の民衆が過ごした戦後は、まさにそのようなものであった。極限情況まで追いつめられた庶民にとって、その苦難はあまりに大きすぎたので、それを語ることを欲しなかった。しかし、それは沖縄の庶民の心底にまるで鋼のように重く、冷たく沈んでいたのだ。そしてやっと戦後20何年目かに、彼らの寡黙な心情は、戦後体験を語ろうとするまでに余裕をもってきた。とすれば、沖縄の戦後はこの沖縄の民衆のかかえてきた沈黙の岩盤にささえられていたといっても、けっして過言ではない。これこそ、戦後の沖縄の思想の原点であることを私は確認した。沖縄の戦後は、この無告の民の沈黙から出発し、沈黙の岩盤にささえられてこんにちまでやってきたのだ。沖縄の戦後社会をいろどるさまざまな現象や事件の鍵はここにある。」
 カッコいい言葉ではないか、その指摘は半分以上正しい。但し、「そしてやっと戦後20何年目かに、彼らの寡黙な心情は、戦争体験を語ろうとするまでに余裕をもってきた。」という部分はいけない。せっかくカッコいい文章で続いていながら、その後に「余裕云々」が出て来ると、ウチナーンチュは思わず考えざるを得ないのだ。判っているようでやっぱり判ってないなと思うのだ。
 またまたはずれる気もするが、その部分を取りあげてみよう。もちろんこれは、谷川健一氏一人の批判でもなく、別にあげ足取りが趣味だからという訳でもなく、唯、その一行に重大な意味が含まれていると思われる故、あえて、少々の強引さを承知で進んで行きたいと思うだけである。
 谷川氏の指摘は割りと肉迫してはいるが、やはりヤマトゥンチュとしての限界みたいなものは免れ得ない感じがする。間違いとは言わないにしても、ヤマトゥンチュであるところの谷川氏のどうにもならない体質とでもいうべきものであり、「余裕云々」の言葉はしょせんヤマトゥンチュの発想でしかない。「余裕」とはヤマトゥンチュにとっての余裕だろう。沖縄では、今だに20数年の緊張状態が続いており、それこそが絶対に絶やしてはならないものだ。
 言おう。
 ウチナーンチュが、戦争体験を語るというのは、茶飲みつつよもやま話に花咲かす、

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