大城正男 9/19

従って、読みにくければ読みにくい程、それだけ辺境だということになり、いや言葉を変えれば、それだけ全く別個な民族体として成立して来たということになり、それを無理に同化せしめようとした結果が最も難解なあて字ということになる。北海道のアイヌがそうであったし沖縄もまたそうであった。
 このことを理解せよ。
 言語撤廃の歴史、これは長くなるから略するが、沖縄にも義務教育制度がしかれた当初、国語というものは即方言から標準語への翻訳であり、余談だが、朝礼の時に「右向け右」を、偶々雨上がりの日だということもあり、「ミジ向けミジ」に聞き間違えてしまい、左側の水たまりを向いたら先生にぶっとばされたという笑い話もある位である。そして昭和20年代前半までに生まれた者なら憶えているであろう「罰礼」エトセトラ、僕らはこういうふうに教育され自分達の言葉を失いかけている。
 言語の撤廃、これは通貨の切り換えとともに植民地政策のイ、ロ、ハであり、もちろん同一民族の場合は植民地といわないから、全く異民族としての扱いである。
 さらにさらに決定的なことは、こちらが「僕らは日本人だ。」といくら思い叫ぼうとも、向こうはそうは思っていないということ、これじゃどうしようもあるまい。「ジキジン」の蔑称が形こそ変われ、まだ生きている。
 話はとんでもなく飛躍するが、同胞民族と思ってないが故に、渡嘉敷島集団自決を頂点とする沖縄玉砕を含め、他の諸々のことがいとも簡単に出来たのであり、これまでの350年間の差別の歴史がある。
 以上の点について議論の飛躍、ないしは論理性の欠落をなじる者があれば異論を唱えるがよい。論理が論理性を持つより以前に感性に支配されていることを、支離滅裂なるつぎ足しの言句でもって論証しよう。
 いやまてよ、論証するのはやめた。僕は論理を捨てたんだ。一切の表現手段を持たない人民の前にこざかしい論理など通用しない。
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 やっとはじめに書いた三つのドキュメンタリー「モトシンカカランヌー」、「それは島」、「生きる」にふれるチャンスがやって来た。これらドキュメンタリーの持つテーマを媒介としながら問題を深化させよう。但し、映画批評ではないのでこのドキュメンタリーが現在的な問題を含んでいても、ウチナーンチュたるのテーマに関係なければ省略するし、こちらで勝手にテーマを拾い上げて行きたいと思う。
 まず「生きる」から。
 簡単に結論から言ってしまうと、前半は嫌味でくだらなく、胃が重く感じられる。

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