大城正男 8/19

 琉球史からみる日琉同祖論もまた然り。
 羽地朝秀から伊波普猷に至るまで、琉球史の編纂に携わって来た者は、すべてヤマトウベッタリの、いわば売国的心情の者ばかり、国史として一番古い「中山世鑑」にしても殺魔(サツマ)に侵略されてから40年後に出来たものだ。だいたい「日琉同祖論」を唱えた本人が国史を著し、それに追従する者達のみが同様に国史の編纂に携わっているのだから、そういう歴史観、ないしは結論の出し方当然といえば当然といえる。
 とはいえ、そんなことを「祖国復帰」の根拠にされちゃたまらない。実に実に好意的に解釈して、1609年以降の国内不穏な空気の中にあって、たとえ日琉同祖論が精神安定剤の意味でしかなかったにしても、それが国史として残されるとなると、やはりその責は免れ得ない。
 そろそろクライマックスにさしかかって来た。
 今、日本語を使っている地域で最も難解な読み方をするのはどこだと思う。北海道と沖縄である。試みに読んでみるといい。「苫小牧」、「後志」、「長万部」、「美唄」、「染退」読めたかな。これが北海道で並べた順からすると「トマコマイ」、「シリベシ」、「オシャマンベ」、「ビバイ」、「シベチャリ」と発音する。それじゃ沖縄のはどうだろう。「喜屋武」、「勢理客」、「東風平」、「南風原」、「北谷」これは「チャン」、「ジッチャク」、「クチンラ」、「ヘーバル」、「チャタン」と読む。「国頭」、「読谷」にしても今では「クニガミ」、「ヨミタン」と呼ぶのに慣されてしまったがもともとは、「クンジャン」、「ユンタンザ」なのだ。いくら日本語とはいえ、土地の者でなければ、そうそう読めるものではない。しかし北海道と沖縄には、それが余りに多すぎる。
 これはどういうことを意味するのか。
 何故、これ程までに馬鹿らしいあて字が使われているのか。
 結論を出してしまおう。
 それは日本という範疇においては(もちろん征服された地域を含む)、北海道と沖縄が最も辺境であり、全く別な言語を持っていたからである。沖縄に限っていえば「ぐすく」を即「城」のあて字をもって来るような単純発想をみても判る通り(沖縄の「ぐすく」は御拝所から発生しており、蔵の意味もあり、正確に「ぐすく」が「城」の意味を持つのは、首里城と中城位でしかない。故にストレートに「城」と結び付かない。)それは日本語を使う野蛮人に侵略され、中央から派遣された青白いヒヨッコどもが、己れの教養とやらを振り廻し、勝手にあて字した結果による。

-31-