大城正男 7/19

 その前に「民族」とは、辞典から引っ張り出して来たような人種がどうの、言語がどうの、宗教、慣習がどうのというような概念ではなく、「民族」とは、現在同一地域にて、利害と志とを同じくする者達の共同体という認識だけは最低持たねばならない。さもなくばまたまたアダムとイブの世界にまで戻らなくちゃならない。こんな狭い地球にこれ程まで多くの人間が、これだけ長く住んでいて、人種だの、宗教だの、言語だの、そんな「純潔」は到底守り得よう筈がないのだ。その意味からすれば、歴史をひっくり返し、文献引きずり出してどれがどうのこうの言ってみてもはじまらないのだが。ともかくも今は進めることにしよう。
 さて、日本の万葉時代の古語と琉球の古い言葉とに類似性がみられるというが、そんなことはあたり前なのだ。
 文献からみると、753年、鑑真漂着が最初になっているが、文献にあらわれていないものを含めると、それの数十、数百倍の事実があったろうと思われるし、漂着の場合もあり、正式な通商の場合もあり、これまで長い間、幾多の出入りがあった中で、言語にしろ、文化一般にしろ、むしろ類似性がないというのが全くおかしいのであって、類似性があるというのは当然すぎる程当然なのだ。それを御大層に類似性がどうのこうの。ナンセンス!ナンセンス!
 簡単な例を引こう。
 よく使われている言葉で、家を建てる時に使う2×4の角材、これを大工達の間では「トゥーバイフォウ」と言う。戦後、米軍から来た言葉で完全なる英語なのだが、現在でもこれが一般的に使われている。たかだか20数年でも言語というものはこれ程までに定着するのだ。
 ついでだからもうちょっと例を引こう。
 馬鹿、間抜け、頓馬とかいう場合に使う「ノーテンファイラー」、これはどこの言葉だと思う?中国語だとさ。
 そして今は立派な水上店鋪が建ち(尤もその為に独特の風情はなくなったが)水さえみえなくなったが、かっての臭くて、汚ならしい、ちょっとした雨でもすぐにあふれ出る、あのなつかしいガーブ川でさえその言葉の由来は、山と山との間の谷間のことをパナル語、スティエン語では「ガプ」、クルメ語では「ガブ」、ワ語では「カプ」と呼ぶことから来ているらしい。すべて南方語だというが。
 もし、言語の類似性でもって、民族体がどうのこうのとなると琉球はアメちゃんとも中共とも南方諸国もすべて同じ民族だということになってしまう。これもやっぱりアダムとイブだな。

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