大城正男 5/19

前衛と称する者が居た!彼らは誰に教えられるのでもなく、自ら、米軍から与えられたジョニ黒、ホワイトホースをぶち割り、それで米軍の車を焼くという毛理論を実践したのだ。誰に命ぜられることなく、自らの意志で石を投げ、ガソリンを運び、車を引き出し、ひっくり返し、火をつけたのだ。そして黄ナンバーのみを運び出したこと、それは狂乱の中にあって実に秩序然としている。数百の活動家を送り込み、数十の理論を寄せ集めたところで、車一つひっくり返せず、ましてやゲートさえ破れなかった各セクトの諸君は彼らにこそ、学ぶべきなのだ。日本本国でつちかわれて来た理論など沖縄では通用しないのだ。ウチナーンチュはそんなものをあてにしないのだ。立場は完全に逆転し、そしてそれこそが最も望ましくて正しい形なのだ。
 謙虚に耳を傾けよ。
 12月20日は諸君にこれまでの押しきせ的なカクメイ理論の放棄を要求している。思想はまさにこの時点において、辺境から中央に向って確実に逆流し始めている。
 前衛を称する者達!よく肝に銘じておくがよい。前衛とは天草四郎ではない。いわば、武器の運び屋だ。
 ついでのついでに断っておくならば、12月20日のそれは「ハンラン」なのであって「ボウドウ」ではない。あの時点から1年数ヶ月を経過した今日でも、まだまだ把握するのに定かならずの観があるので、この際断定してしまおう。12月20日は「反乱」だ。あの革命の闘士達(ボーイ、ホステス、バーテン、娼婦、一杯きげんのアシバー達、タクシーの運転手、商店のおっちゃん、アンマー、高校生、唯の通りがかりの人、etc)を暴徒と呼ぶのは権力の言葉だ。あの反乱は、沖縄の闘いにおかえるこれからの蜂起を予感させる。さっきの話と前後するが、72年をうんぬんするよりも、むしろ70年12月20日を総括せよ。これが我々の闘いにおける一つの突出した部分なのだ。そして今度はそれが黄ナンバーでなく、自衛隊のユニホームに目標が変るだろう。

 随分、廻り道をして来たが、さて元に戻ろう。あれ、何の話だったっけ。そうだ、謎々遊びの話だったな。
 屋良を中心とする復帰協の幹部が、旧軍国日本の教育のしがらみであったとすると、ここに旧軍国に本−−沖縄師範−−教職員会−−土地闘争から祖国復帰運動−−復帰協−−72年完了(日本テーコク帰属)と一つのはっきりしたラインが引かれ、小学生でも判る位の一目瞭然たる見事な図式が成立する。正面にアメ公を立てて

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