大城正男 4/19

ある。少し言葉を変えよう。
 72年で完了ということは、日帝の側の琉球処分という一つの段階が完遂されたということであり、我々の運動はそれに関係なく進んでおり、72年に終る訳でもなく、停滞する訳でもなく、また72年からはじまる訳でもなく、以前から闘いは継続しており、これからも続いて行くであろうということであり、72年返還は我々の闘いに何らかの契機になるにすぎないだろうということである。
 蛇足につけ加える程度のものから本題をもつき抜けて霧中拡散してしまうことは、僕の最も得意とするマル秘技なのでそのまま続けることにする。
 それ故にアメリカ軍の撤兵による在沖黒人兵の帰国(身近にして、連帯し得る同胞の撤兵)、武器、弾薬の収奪の難しさ、そういう今までの諸々の有利な情況がなくなってしまうことで、早急に、もうこれで運動自体が停滞するんじゃないか、もう何を言ってみたって復帰は決まってしまったんだからという結論の出し方は困る。
 反対陣営の72年返還でこちらの闘いの明暗まで分けてしまうような考え方は困る。むしろ逆なのだ。これまでのまやかしの運動が我々の前から姿を消すことによって、改めて我々は真相、すなわち、復帰の実体を見続けていられるのだから。確かに、敵さんは数歩駒を進め、情況は我々にとっていくらか不利にはなる。しかし、決して安易に、白痴的オプチニズムに言うのではないが、ウチナーンチュは沖縄から居なくなりゃしない。アメ公が去り、ヤマトゥンチュが入っては来るが、ウチナーンチュはどこへも行きはしないのだ。ウチナーンチュはウチナーンチュとしてそのまま沖縄に居続ける。これは重要だ。そのことが信じられる故に、他の諸々のことも信ずることが出来る。
 ウチナーンチュが居る限り、闘いは続いて行くだろうと、打倒すべき敵が、今20数年ぶりに眼前に、再び姿を現わしたことにより、我々の闘いがより激烈に、より強固になって行くだろうと。
 ウチナーンチュとは、そのまま日帝に敵対することの意味を持ち、その志を放棄した者は、もはや在沖縄に関係なく、ウチナーンチュとは呼べない。逆に言えば、その志を有する者はたとえ在日本本国でもウチナーンチュと呼ぶことが出来る訳で、地理を越えることはそういうことをいう。
 これも信じられない奴は、ニヒリズムの殿堂入りをするがよい。オ・サ・ラ・バだ。
 思い起しても見よ、1970年12月20日にコザ反乱を。
 その時、どこに組織に指導された者が居た!どこに卓上の革命理論に支えられた

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