大城正男 3/19

己れの成し得た役割に満足し、それに対する矛盾と混乱の渦に酔いしれているだけのことであり、彼はマゾヒストに違いないのだ。巷には、「あれは持病である顔面神経痛の高じた結果だ。」というのと、「復帰運動をすすめていく中でどうしてもああいう顔を、というよりポーズをとらざるを得ない情況があり、それを続けている内、元に戻れなくなった。」という2つの説があるが、どちらも信用出来ない。
 別に屋良をあげずとも、かんおけに片足つっ込んだ年令の沖縄の教師エトセトラでもかまわない。彼らが一様に「クワン」「クワイ」と発音し、そして祖国復帰運動の母体たる教職員会の中枢である事実を指摘すれば事足りる。
 戦前の師範学校なるものを考えてもみよ。
 一方で異民族だと差別し、一方で「お国の為だ。」「皇民として……………。」と沖縄人民を鼓舞し、多くの学生達を死地へ出向かせたのは誰だったのか。「クワン」「クワイ」と発音することは、まぎれもなく旧軍国日本の教育にしがらみになっているということであり、日帝のカイライであることの証しなのだ。
 こういう日帝の手先たるヤカラが、祖国復帰運動なるものを引きずって促進して来た訳だから、今回の沖縄返還協定の中味が、こうなるとは、あらかじめ計算し尽くされていたことなのだ。それを予感させた前兆として、屋良がはじめて立った主席選において「即時復帰」「時期尚早」と全く復帰前提レベルでの住民の意思表示以外ないかの如き印象を与えられ、その中で二者択一的に投票を迫られたことがそもそも間違いだった。そういう風潮をあおる意味で屋良の出馬は、実に効果的であったし、彼らカイライにとっては得意満面であっただろう。どんな演出家も、これには及ぶまい。
 そして見よ!今まさに鼻は落ちないけれども、時期到来と見事に花は咲いた。
 祖国復帰、日本テーコク帰属はまさに72年をもって完了した訳だ。72年で完了したということの意味はちいっとばかり重要だ。ついでだから蛇足だとは思うが、今少し続けよう。
 72年沖縄返還というものは、我国を含め、多くのウチナーンチュをまき込む程、巨大であったのだが、その実まやかしであって、真の我々の闘いとは別な次元に位置しており、眼前に沖縄をすえながら、結局は日帝の対アジア政策の一環だったのであり、そのことは日帝の対アジア政策におけ、明確に一つの段階である第四次琉球処分が完了したことを意味する。対アジア政策とは、昔日旧軍国日本が夢を馳せ、一度は途中まで到達したかに見えた「大東亜共栄圏」の完全なる再現であることは疑うべくもない。
 従って、我々の運動とは関係ない。いや関係ないと言い切ってしまえば語弊が

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