大城正男 1/19

 さらなるウチナーンチュ
        へ向って!

評 論 家    
大 城 正 男 



 この文章は、沖縄で生れ、沖縄で育ち、そしてさらなるウチナーンチュたらんと欲しているウチナーンチュによって綴られていることを、まずはじめに断っておきたい。
 本来なら「さらなるウチナーンチュへ向って」と銘打ったことでもあるし、ウチナーンチュが何たるかの説明らしきものから、はじめに書き出すのが常道なんだろうけれども、それがヤマトウグチで書かれる限り、いくら言葉を労しても到底ウチナーンチュの理解には達し得ないだろうと思うので、2・3のエピソードを引用しつつ、かつ「モトシンカカランヌー」、「それは島」、「生きる」のドキュメンタリーを伏線にからませつつ、そこから発展させて行きたい。(モトシンカカランヌーについては、去った1月、那覇、コザ、名護での上映があった故、観ている方も多いと思う。)
 僕らがウチナーンチュに徹するということは、単純に言ってしまえば目標をはっきり日帝権力にしぼるということであり、差別され抑圧された人民が中央権力に対して、言語、文化をも含め、完全に開き直ることを意味し、そしてウチナーンチュに対してヤマトゥンチュと僕らが呼ぶことは、韓国で「倭奴」(イエノム)と呼び、アイヌが「和人」(シヤモ)と呼ぶ、その日帝せん滅の為の包囲戦略ライン上の一角を占めていることを意味し、それは太田竜氏(情況71年10月号)が言うように、琉球は日帝を滅ぼす為の最北端でこそあれ、絶対に日帝の最南端であってはならないことを意味する。
 さらに、僕らがウチナーンチュに徹するということは、ヤマトウと徹底的に決別することにより自我を確立し、中央権力に対する開き直りから、他の幾多の「辺境の独立」を促すという意味を持ち、それはすべての運動ないし闘いの基本であり、原点であり、そして普遍的である。(僕らが沖縄に住んでいるからウチナーンチュに徹するというだけの狭いナショナルな意味でのそれでなく、それは地理を越えて連帯するであろう諸々の同志達の総称であり、それをウチナーンチュと僕が勝手に呼んでいる。地理を越えることは後で少々ふれる。)

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