野底土南 14/23

ウ 階級とは何か
 英語のクラスの訳語であって、本来、経済的地位の区別である。資本家階級と労働者階級上流階級と下流階級の如きである。
 現代の財政と金融のメカニズムは人民大衆の資金−−税金、料金、預金を政府と金融機関に集中せしめ、世界貨幣である金は権力が独占管理し、代って無価値同然の紙片を強制適用させる。信用制度のおもむくところ、人民大衆の蓄積=預貯金の価値は自由自在に収奪されるに任せて抗するスベもない。
 税金、料金、預金の社会経済的性格は近似する。前二者は直接支払われるから収奪を直接感じるが、後者は表面上いささか利子がつくため、安心する。ところが、収奪者は巧妙に、信用の拡大または財政支出をとおして、苦痛を感じさせない方法で価値を奪うから人民大衆は眠ったままである。実はこの収奪の方がはるかに大きいのだが、そのカラクリがなかなか、わからない。価値意識のマヒ症状は、国の権力による強制の所産だが、そのマヒ症状に乗じて虚構の資本(価値の収奪)を人為的に大量生産できる。本来の預け主である人民大衆にとっては、自分の資金でありながら、自分のものでない状況が支配する。事実、通貨は一片の口座に化体して抽象的預金債権に転化する。かくして、古典的資本家(資本主即経営者)は政治的にも経済的にも無力化しており、代って人民大衆の資金を管理する階級が政治的にも経済的にも強者となり社会の支配者となる。この階級が政府、金融機関、市町村、独占企業体に属する役職員であることはいうまでもない。
 試みに、1969年度の琉球国民所得6億3,700万ドルに対して、同年度の政府一般会計予算及び特別会計運用資産総額の合計約2億7,500万ドル、それに、金融機関(外銀を除く)預金総額5億ドルを加えた合計7億7,500万ドルを比較せよ! 百万人の人民が一ヵ年間に稼いだ所得合計の実に1.2倍の巨大資金(その殆んどは人民の蓄積から成る)を、せいぜいたかだか、僅か20〜30人の人間が無秩序に管理しているのだ。
 さらに、企業の資本構成比をみれば、今日の企業の資本主が実質的に誰であるか判然する。琉球政府がまとめた主要企業(金融機関を除く)86社の68年6月末日現在の資本総計は1億5,000万ドルで、そのうち自己資本構成比はわずか29%にすぎなかった。残余71%のうち80%は銀行からの借入であった。銀行資金の源泉は人民大衆の預金であるから、右86社の資本の56%(71×80%)の事実上の資本主は人民大衆である。

-14-