野底土南 11/23

 官僚と一部グループによって事実独占されていること。また、この、矛盾を正当に認識していない邪蛮の学者文人政治屋ども。
 このような国を祖国と幻想し、追随するタキナムンヌチャー。あゝナンタル無知か!
9.現代に対する時代認識の欠如と琉球民族の世界における地位の認識の欠如。更に琉球民族文化=民族精神=道理の世界史的意義の無自覚(前掲P5拙著参照のこと)
10.国家、民族、階級、文化、自治、独立等の概念の混乱と思想営為の怠慢。
  −−概念の目的性と相対性
  −−琉球民族更正のための哲学の必要性
 スペースの制約のため充分説明できないので、最初の二つについてはやや詳細に、残余については簡略にした。
ア 国家とは何か
 この言葉は迷血政府が西欧から近代制度を輸入したとき、英語のステーツ、ドイツ語のスタット、フランス語のエターの訳語として今日に及んでいる。オックスフォード英語辞書は「ステーツとは組織された政治権力集団であって、その人民、連邦諸国の承認を受けた政府をもつ」とする。このことからもわかるように、本来の意味は政治権力集団であることをしっかり理解することが大事だ。通常、組織された政治権力集団のことを権力または政権ともいう。権力グループは厖大な官僚軍隊からなる政治をもっている。この権力グループは一定の領土、人民を支配するからステーツはその領土、人民を総合した意味(総体概念)にも使われる。つまり国と同義につかわれる。このように理解するのが普通である。ところが、「国家」という訳語からは、その本来の意味を現わさないばかりか、国と家という全く別個の概念−−支配と被支配という相対立するものを混同せしめる有害な造語であるから注意する必要がある。何故にそうなったか。察するに、その魂胆は当時、天皇中心主義−−権力、道徳一切の上位に天皇制を構築するためであった。まるで、天皇は国民を一家とした場合の家長に当るという過った概念を植えつけるために、ワザワザ国家としたのであった。
 事実、戦前の教育は人民を天皇の赤子として動物のような批判力のない具民に馴致した。皇民化教育とはこのことだ。戦後の「日本国民教育」も本質的にかわらない。屋良犬知事の日本母親論はその名残りにちがいない。また彼が好んで「昭和」年号を用いるのもそのあらわれとみてよい。

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