野底土南 2/23

一国閉鎖的な沖縄単一国家としては、沖縄解放の権力はたてられない。それ故、「沖縄独立」というスローガンは思想的にも実践的にも意味をなさないと。独立を恐れる精神病にさいなまれているこのアワレな買弁ども。沖縄人民権力を樹立せよと大言壮語しながら実は、独立が恐いのである。結局のところ、日帝による琉球併合を認めるのである。
(2)尖閣列島―琉中共有論
 ここで、ハッキリと、その買弁性がウキボリにされる。尖閣列島が琉球の領土であることは明らかである。今日の国際法の示すところでは、ある地域がいずれの国に属すべきかを決定する基準は、その地域に対する「実効支配」の有無にある。少なくとも1896年来1970年までの74年間、琉球政府が排他的にその行政権を及ぼし、このことにつき、他のいかなる国も、その支配に対して異議をはさまなかった事実が、琉球領土であると主張できる根拠だ。この国際法の原則を離れて、領土権の帰属を論ずるのは馬鹿げている。何故なら領土権紛争をめぐる解決規範は国際法が与えているから。
 尖閣列島の帰属論議がやかましくなった背景は何か。――いわずとしれた石油資源である。中国領有論から琉中共有論、日本領有論、いずれも買弁=奴隷の言辞にすぎない。
 わが貧しい琉球民族、これまで天与の資源に恵まれず、貧困のゆえに外国の支配に呻吟し、更にその支配によって窮乏を強いられてきたわが民族。今日では、その民族魂さえ、皇民化教育によって失いつつあるわが悲しい琉球民族の更生に、自覚に、必ずや、寄与する多くの天然資源。わが貧困を根本的に解消する資源の存在。これをわが民族の更生に活用しなければならないと発奮しない者は、およそ、人間ではないのである。沖縄人を解放すると壮語するが、このように、主張できないとすれば、それは、沖縄人をカタって実はオノレ個人の私益を外国と謀っているものと断じてよい。
 1946年このかた、わが琉球及び邪蛮においては、保守の対米買弁によって、今日の不幸を招いたが、今後は、さらに、「革新」買弁が、わが琉球を更に不幸のドン底につき落とす。人民の自決=独立を恐れる病は保守「革新」をとわず、あらゆる階層を毒しているのだ。まこと憂れうべきは、この琉球民族精神病である。この病原菌は、学校、マスコミ、犬庁、市町村、政党、企業、労組等のあらゆる組織のリーダーによって毎日培養されて社会にタレ流している。
 この汚れはてたドブ――沖の波間に漂う腐れはてた縄ぎれを、真に高貴な紫紺

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