1971年5月12日 沖縄タイムス 及び 1971年5月18日 琉球新報朝刊 に掲載             無断複写引用を許可す。
意見広告 われわれは独立を選ぶ!「琉球独立党」の結成のよびかけ

 周知のとおり現在日米両国政府の外交当局者の間で、琉球の「施政権」を日本に「返還」するという想定のもとに「交渉」が進められ、「返還条約」の調印はここ一、二ヶ月以内におこなわれると報じられている。
 現在の日米交渉は沖縄人が「日本復帰」または「祖国復帰」を要求しているという想定にもとずいており、この想定は日本の敗戦以来二十五年にわたる沖縄人の表だった政治的動きに支えられていると見られる。
 しかし、自からがかくも熱望したはずの「祖国復帰」がいよいよ実現しそうになった今日、われわれ沖縄人は迫りくる「七二年復帰」の現実の恐ろしさに長年の夢からさめたように驚ろき、前途に横たわる破滅の淵を見て深刻な恐慌におちいり、同時に沖縄の事態をここに導いた自己の不明と自主自尊独立邁進の気概を失なった阿諛(あゆ)追従の政治的姿勢に後悔の念を深くしている。
 しかしながら、百万沖縄人の百年、いや千年の大計が正に決せられようとする民族歴史の大きな岐路にさしかかっている今日、われわれは恐慌や後悔にばかり時間を浪費してはならない。
 数千年前の先祖から代々琉球の島々に生を享けついできた歴史の伝統と豊かな大海洋と温暖な気候に恵まれた天与の地理的環境に基づいて、われわれはこの際最も根源的な問を発する。
 沖縄人の祖国は沖縄か、それとも日本か?
 この問にたいする答のしかたが百万沖縄人の将来を決するが、われわれは百万沖縄人の祖国はわれわれが踏まえているこの大地「琉球」であると断言する。したがって「祖国復帰」は母なる島々「琉球」への回帰でなければならない。
 われわれは、いわゆる「日本復帰」は第二次大戦直後の貧窮敗残のころの一種の敗戦思想であり、沖縄人の歴史認識が「廃藩置県」以前に決してさかのぼれず自からの長い歴史の伝統を回帰できなかったころの浅はかな思想であると考える。
 幸いにして、われわれ沖縄人は終戦以来二十五年間に自からの長い歴史をさぐりその意味を発見し、同時に政治経済の自主運営によって営々として今日までの繁栄を築いてきた。これは万金にも替えられぬ尊い体験である。
 われわれ沖縄人は自からのこの貴重な資産を捨て、自主自尊独立邁進の天下の公道を避けて、「日本復帰」という浅はかな思想でいたずらに自からを卑小化しようとしている。これは「四海同胞」を実践した沖縄人の歴史の伝統にそむく恥ずべき奴隷の思想と言わねばならない。
 われわれ自身が二十五年にわたってこの奴隷の思想に安居してきたために、日本と米国は「施政権の返還」は国際正義に沿うとの仮説をつくりそれによって交渉してきた。この日米両国の誤認にもとづく交渉の責任はわれわれ沖縄人にあると言わねばならない。
 民族の歴史の岐路に立つ今日、百万沖縄人は今こそ起ちあがり頭を高くあげて「われわれは奴隷の思想を今日かぎり廃棄する。われわれの祖国は琉球であり、今後われわれは琉球の可能性を最大限に発揮するために自主自尊独立邁進の天下の公道を選び、日本、米国、中国、朝鮮、東南アジアの同胞と善隣友好、平等互恵の関係を維持し、琉球に正義と繁栄を実現するのだと」と堂々と宣言しなければならない。われわれは、つまり、「日本復帰」の主張と要求を取消し、自主独立自由な琉球国を建設するのだ。
 独立国琉球の建設は百万沖縄人の智力と体力のすべてと友好善隣諸国の激励と援助を要する偉大な創造の事業である。しかし、これはまた琉球の歴史の再現であり、われわれは十分にその能力と経験と経済的資源を有する。
 われわれの目標は四隣同胞と善隣友好のうちに百万沖縄人のために正義と繁栄を楽しむ社会を琉球でつくることである。この目的のためわれわれはここに「琉球独立党」の結成を提唱し、絶対多数の同志を募って固い結束のもとに活動することを内外に宣言する。
 誇り高き沖縄人よ、琉球の栄光の歴史の創造に参加せよ!
一九八〇年琉球独立万才!

  一九七一年五月十一日

琉球独立党結成発起人会

発起人

 崎間 敏勝
 宣野湾市字嘉数九七六
 電話(〇九七)二三六一

 野底 武彦
 那覇市久米町二ー一〇八
 電話〇八(六八)三八三八

 古謝 紹松
 コザ市胡屋一三八四
 電話(〇七七)一四六七

◎発起人会は直ちに「琉球独立党」の結成準備委員会の組織にかかります。右のよびかけに賛同の方は発起人にご連絡下さい。



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