日本人と琉球人は異民族。

明治の琉球併合前、朝野新聞(ちょうやしんぶん)が「琉奴討つべし」と世論の琉球征伐感情を煽った。


イーハトーブ通信|花巻市議会議員 増子義久 公式サイト

http://samidare.jp/masuko/note?p=detail&lid=397631

守礼門


現代版「琉球処分」―“琉奴可討” 2016.11.04


 最近、「琉奴可討」という言葉を知った。「りゅうどかとう」と読む。「琉奴」とは「琉球人」に対する蔑称で、読み下せば「琉球人を討つべし」ということ になる。それにしても、何とまがまがしい物言いであることか。先月中旬、沖縄・高江のヘリバッド建設現場で「黙れ、コラ。シナ人」という暴言が飛び出した のは「土人」発言のすぐそばでの出来事だった。その淵源(えんげん)を辿っていけば、結局はこの言葉に行き着くのではないか。時は今から137年前にさか のぼる。1879(明治12)年1月10日付の自由党系の政論新聞「朝野(ちょうや)新聞」に「琉奴可討」と題する論説が掲載された。

 「大喝(だいかつ)一声、琉奴ノ面(つら)ニ唾(つばき)セント欲セザル者有ランヤ故ニ、我輩ハ多言ヲ要セズシテ曰ク、琉奴可討。…甚(はなは)ダシイ 哉、琉奴ノ我ガ日本帝国ヲ蔑視(べっし)スルヤ、甚ダシイ哉、琉奴ノ支那国ニ敬慕(けいぼ)スルヤ、我ガ厚遇ヲ忘レ我寵眷(ちょうけん=特別に目をかける こと)ニ背キ、斯(か)クノ如キ無礼不敬ノ文章(注;請願書)ヲ作為シ之ヲ外人ニ捧ゲ…」(「『琉球処分』を問う」琉球新報社)。筆者は同新聞主筆の末広 鉄腸(1849−96年)。末広は日本の言論界史上、初の新聞条例・讒謗(ざんぼう)律違反に問われた民権派の言論人として知られていた。

 1872(明治5)年、明治政府は「琉球国」を廃して「琉球藩」とし、廃藩(琉)置県に向けて当時、冊封(外交)関係を持っていた清国との断交を再三 迫った。琉球側が従わなかったため、処分官の松田道之が約600人の兵員などを従えて武力弾圧に乗り出し、79年3月27日に廃藩置県を布達、王府だった 首里城の明け渡しを命じた。ここに事実上“琉球王国”は滅び、「沖縄県」となった。いわゆる「琉球処分」である。しかし、琉球士族の一部はこれに抗して清 国に救援を求め、清国も日本政府の一方的な処分に抗議するなど問題は尾を引いた。この人士の一人が林世功(りんせいこう)である。

 「むかしから君主に対する忠と親に対する孝という二つの道をまっとうした人は何人いるだろうか。わたしは、国を憂い家を思って福州に渡ってからすでに5 年になる。いっこうに好転しない琉球救国の現状を打開し、琉球国の存続という大義のため命をかけよう。ご両親におかれては、どうか賢明な兄弟に頼られた い」(前掲書)―。琉球処分に抗議し、国王(尚泰)の密書を携えて救国運動に一身をささげた林は冒頭のような辞世の気持ちを漢詩に託し、北京で自刃した。 琉球処分が断行された翌年のことである。作家の大江健三郎さんは林について、こう書いている。

 「あらためて僕は、ひとり清国で自決した琉球の知識人の詩に戻らねばならない。自決を前にして、林世功、名城里之子・親雲上(べいちん=琉球名)は、す でにかれの祖国琉球を救援できぬことのあきらかな清国朝廷(注;日清戦争前夜)の人々に対してより、琉球の同胞にむけての遺言であることはいうまでもない として、同時に、琉球処分を押しすすめはじめている日本国の人間に対する抗議のメッセ−ジとしてもまた、この七言絶句を残したのではなかったであろうか」 (『沖縄ノ―ト』)

 「土人」発言と「シナ人」発言―。このむごたらしい言葉の背後には「北海道旧土人保護法」や「琉奴可討」(琉球処分)という血塗られた歴史が黒々を広 がっている。そして、私の視線は足元の過去にも向けられる。「東国のいなかの中に、日高見国(ひたかみのくに=北上川流域か)があります。その国の人は、 男も女も、髪を椎(つち=木槌)のような形に結い、体に入墨(いれずみ)をしていて勇敢です。これらすべて蝦夷(エミシ)といいます。また土地は肥えてい て広大です。攻略するとよいでしょう」(宇治谷孟著『全現代語訳 日本書紀』上)

 自由民権派を自負した末広鉄腸の思想がその後、琉球の人たちやアイヌ民族への差別、さらには朝鮮や台湾への植民地支配の道を開いたことは歴史が証明する 通りである。林世功のメッセ−ジは1世紀以上の時空を飛び越え、今まさに米軍基地に席巻された「オキナワ」だけではなく、現代ニッポンの総体に向けられて いるのだと思う。首里城の正殿へと続く守礼の門には「守礼之邦」と書かれた扁(へん)額が掲げられている。「守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」の意 で、「琉球は礼節を重んずる国である」という意味である。以下に林の辞世の漢詩を記す。原文の方が思いが伝わってくるからである。

古来忠孝幾人全
憂国思家已五年
一死猶期存社稷(しゃしょく=国家)
高堂専頼弟兄賢
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