学習・研究のための  Power up 琉球自立独立関連情報資料集 》No.117

2015年8月10日?2015年8月29日分のまとめです。下に行く程新しい記事です。

琉球・沖縄の自立、独立関連の情報を研究用、討議用としてお知らせしております。
より良い社会作りのために参考になれば幸いです。
こちらのページはメール送信のテキストのみとは違い軽い画像も掲載したりしています。
最近になってリンク切れしているもの等はできるだけ直してあります。ソース(ニュース発信元)が無かったものも出来るだけ探して付けて有ります。




2015年8月10日
家康没後400年の沖縄独立論

http://blog.goo.ne.jp/hitoshi1940/e/a1b7c594f0b86c902a28266ed94796b6


家康没後400年の沖縄独立論(2015年8月9日、中日新聞)
2015-08-09 08:09:46 | 桜ヶ丘9条の会
<ニュースを問う> 家康没後400年の沖縄独立論 

2015/8/9 中日新聞


 平和。

 この言葉を前にすると、何だか心がざわつく。沖縄での取材を重ねるにつれ、という気がする。

 二年前、沖縄県営平和祈念公園の刻銘碑「平和の礎(いしじ)」の傍らに「命(ぬち)どぅ宝」と刻まれた新たな碑ができた。「戦争は終わった 平和は人の心でつくる 命こそ究極の宝」と説明されている。碑文に吸い込まれるように見入った。

 碑の創設者、琉球大名誉教授の垣花豊順さん(82)=那覇市=に会いに行った。

 「平和は、残念ながら時代によって曖昧にされてしまうほど純粋なもの。もっと根本的に表す言葉が必要な時が必ず来る」。碑を建てた思いをそう話した。

 今、国会で「平和」が連呼される。全体の幸せがそこにあるかのように。「命こそ宝」と訴える碑との違いは、どこに根ざすのか。

 二年前、私は沖縄戦の被害者らが国に謝罪などを求めた訴訟の取材を始めた。原告に静岡県の女性(74)=那覇市出身=が加わり、沖縄と静岡をたびたび往復した。だが、書けども書けども、沖縄の声が読者に届かない。なぜなのか。答えを探しあぐねた。

◆侵略された立場

 とある居酒屋ののれんをくぐった。三線(さんしん)の音色が心地よく、出張のたびに通うようになった店。大将との何げない会話がきっかけになった。

 「久しぶりだね。静岡の話を聞かせてくれよ。今、何がはやってるの?」

 うーん、徳川家康ですかねえ。

 「へ?、家康が?」

 大御所が平和な世をつくったってね…。料理をさばく大将の手が止まり、いつもの穏和な顔が真っ赤だった。こらえ切れないように憤った。

 「家康が平和? 虐げられた側の立場で見てみろ。全く違うもんが見えてくる」

 私は、沖縄を分かっていなかった。家康がもたらした「平和」は沖縄にとっての「侵略」。それがここでのとらえ方と知った。

 薩摩藩に服従を強いられた琉球の使節は、幕府の権威を民に見せつけるシンボルとして、大国・明の衣装を着せられ、明伝承の三線を奏でさせられながら、江戸までの長旅を耐え忍んだ。その後、明治政府による琉球処分で四百五十年の歴史を刻んだ王朝消滅への道をたどり、「捨て石」の戦場となる沖縄戦へとつながっていく。

 琉球王朝は、中国と日本との関係を保ちながら、一度も戦争をしていない。日本という国家の一部となり、その果てに十二万人もの命が散った。本土で語られる「平和」を真に受けないのは、沖縄の人の身になれば当然だ。四百年前の侵略と祖国を奪われた悲しみ、その後に訪れた裏切りと、今なお続く犠牲はつながっている。

 かつて取材した、世界若者ウチナーンチュ連合会代表の玉元三奈美さん(28)=沖縄県うるま市=の言葉を思い出した。

 「オーストラリアに留学したとき、中国や韓国の友人から言われたんです。『沖縄なら、痛みを分かち合える』って」

 なぜヤマトンチュ(本土の人)ではないのか。大将の言葉に今更ながら、答えをぐさりとつきつけられた気がした。

◆「個」のための憲法

 家康没後四百年になることし四月、静岡の東海本社版で伝えた連載「琉球使節と遠州」では、沖縄の視点に近づきたい、という思いを込めて書いた。受け止めてくれたのは大学生だった。

 静岡文化芸術大(浜松市)二年の冨樫亜耶佳さん(20)らが「多くの大学生が好きな音楽を取っ掛かりに沖縄を理解したい。音楽からなら入りやすいんじゃないかって」と沖縄の学生を招いた三線コンサートを企画した。当日の会場では皆が手を頭上に掲げ、カチャーシーを踊った。

 沖縄の学生がしてくれた民謡の説明に、はっとした。

 「沖縄では花のつぼみを歌った民謡が多いんです」

 本土では桜の散りぎわに刹那を感じ、愛(め)でる。「散りゆく」美学は戦時、人の命も軽んじた。これから咲く花の命を慈しみ、満開を待つ沖縄の美学は、たった一つの命でも、それを最上位の宝とする。

 「命どぅ宝」の碑を建てた垣花さんの言葉を思いだした。

 「憲法の根本は何だと思いますか? 僕なら『個の尊重』とはっきりと答えます。『公』以上に『個』が尊重される社会に変えるために、あの憲法は作られたんじゃなかったのですか」

 沖縄では今、「独立論」が本気で論じられている。その思いに寄り添いたい。心ざわつくことのない、私たちの「平和」につながると思うから。

(木原育子・前東海報道部)



2015年8月17日
沖縄が独立すれば日中関係も好転する

http://nikkan-gendai.com/articles/view/news/153580


日刊ゲンダイ
永田町の裏を読む/高野孟
沖縄が独立すれば日中関係も好転する

2014年9月25日

 スコットランドの独立を問う住民投票は、多くの日本人にとっては遠くの出来事でしかなかったが、沖縄県民にとってはそうではない。

 グラスゴーの西40キロのファスレーン海軍基地は、英国唯一の核戦力であるトライデント弾道ミサイル潜水艦の母港であり、独立賛成派の各党はこぞって「独立達成の暁には基地も潜水艦も核弾頭も出て行ってもらう」と主張していた。核基地を丸ごとイングランドで引き取るとなるとコストが莫大で、そんな金を使うくらいならこの際、核兵器はやめたらどうなんだ、という話になりかねなかった。

 過大な米軍基地負担の押し付けを「差別」と受け止めている沖縄の人々が「そうか、独立という手があるのか」と息を詰めて結果を待ち受けたのは当然だった。

 スコットランドが独立した場合の主な財源は、北海油田だが、沖縄が独立した場合も、東シナ海の日中中間線周辺にある海底ガス田はみな琉球国のものになる。鳩山由紀夫・温家宝両首相の間では日中共同開発の合意が成り立っていたので、同国はそれを引き継いで琉中共同開発を始めればいい。ついでに、尖閣諸島も琉球国のものになるので、琉台中で領有権問題の「棚上げ」を再確認して3国共同の漁業資源管理や海空交通の安全についての取り決めを結ぶことになる。

日本の右翼勢力が尖閣危機をあおって軍備を拡張し、中国包囲網をつくる口実にすることはできなくなるので、日中関係は好転する。またスコットランドの最大の特産品はスコッチ・ウイスキーで、その酒税がロンドンの懐に入ってしまうのがスコティッシュの不満の種だが、泡盛の酒税も今は東京に吸い上げられている。

 そういうわけなので、沖縄のメディアは独自に現地に特派員を送り込み、政治学者なども続々と視察に入った。島袋純・琉球大学教授は現地で「独自の文化、言語、歴史を持つ地域の人々が自己決定権を主張し、その権利を平和的に獲得してきた先進事例として、沖縄にとって大きな示唆を与える」と語っている(琉球新報9月20日付)。

 スコットランドとて、ここまで来るには長い道のりがあり、自治権拡大の最初の住民投票が行われたのは1979年でこの時は成らず、97年の2回目でようやく連合王国の枠内で「スコティッシュ議会」を開設して立法権と徴税権を大幅に移譲させることに成功した。そして今回、もう一歩踏み込んで独立しようとしたが成らず、捲土重来を期すことになった。政府が県民を蹴散らして辺野古基地建設を強行する姿勢を続けていると、沖縄もスコットランドの先例に従って歩み始めるとみて間違いあるまい。(水曜掲載)

▽たかの・はじめ 1944年生まれ。「インサイダー」「THEJOURNAL」などを主宰。「沖縄に海兵隊はいらない!」ほか著書多数。



2015年8月25日
沖縄独立論について彫刻家 金城 実 氏が答える

https://www.youtube.com/watch?v=RHS0VnIKMfs

最新ユーチューブ動画

沖縄独立論について彫刻家 金城 実 氏が答える

2015/08/24 に公開
2015年8月22日に開催された「鎌倉でつなぐ2015 沖縄、福島、イラク、そして日本国憲法」にて参加者から翁長知事の沖縄独立論の本気度?を問われて 沖縄在住の彫刻家 金城 実 氏が答えた部分です。



2015年8月26日
脳味噌の腐った日本人への抗議声明

http://www.ntt-i.net/kariyushi/

脳味噌の腐った日本人への抗議声明

心が薄汚い、脳味噌の腐った日本人によって、琉球独立運動は裏で中華人民共和国が行っている、な
どと悪質で犯罪的なデマが拡散されております。しかし中華人民共和国が成立したのは1949年で
あり、それ以前の中国共産党も建国の為、内戦で死闘を繰り広げており、東の小さい島はどうでも良く
琉球独立支援どころではありませんでした。琉球人による琉球独立運動が起こったのは日本が敗戦し
た1945年であり、古くは1609年の徳川幕府下の薩摩の琉球侵略後や1879年の明治政府に
よる琉球王国強制併合の時から独立運動が行われており、連綿と続いている琉球独立運動は琉球人が
自ら行っていることは少し調べれば簡単に解ることです。 

かりゆしクラブ



2015年8月27日
島袋純教授、琉球独立の決意を語る!

「島ぐるみ会議」事務局次長・国連部会長、島袋純教授は8月23日、静岡県内において_講演。憲法改正あるいは辺野古への基地建設が強行された場合は、沖縄は独立すべきと明言しました。

島袋純教授、琉球独立の決意を語る!
https://www.youtube.com/watch?v=IgmHoQa_Qm8

琉球独立派、島ぐるみ会議 島袋純教授による講演
https://www.youtube.com/watch?v=wpiFSGO60y8



2015年8月27日
琉球大の島袋純教授「日本政府が辺野古建設強行か改憲するなら、琉球独立すべき」

動画アドレスは先にメール済み

http://iroha1130.seesaa.net/article/424893547.html

2015年08月27日

【沖縄】琉球大の島袋純教授「日本政府が辺野古建設強行か改憲するなら、琉球独立すべき」「日本人全体がダメ、独立しかないと言う人は急増している」[8/27]

「もし憲法が改正されるようなことがあれば、ただちに沖縄は独立すべきだと思います」
この言葉に会場は一瞬静まりかえり、どよめきが広がった。

8月23日、静岡県内で開催された、米軍基地の辺野古移設反対派による講演会。
「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」(以下、「島ぐるみ会議」)の国連部会長を務める
島袋純・琉球大教授(54)は、満員の聴衆を前に講演し、独立への意気込みを語った。

島袋教授は、9月20?23日に予定されている翁長県知事の国連人権理事会での
演説をセッティングしている責任者でもある。この日は、辺野古での反対運動、
「島ぐるみ会議」の取り組みについて、一通り解説したあと、
自らの専門である翁長知事の国連演説について言及した。

関係者によれば、「独立」発言が突然飛び出したのは、講演会後半の質疑応答での出来事だったという。
「琉球独立の可能性」について問われた島袋教授は、堰を切ったように「独立」への思いを熱く語り始めた。

「あの憲法改正案が通れば、おそらく日本の立憲主義は終わりです。私は、
だからもし憲法改正、国民投票をやって、その時、憲法が改正されるようであれば、
ただちに沖縄は独立すべきだと思います。これは必ず視野に入れておかないといけない」

「自己決定権の重要な権利の一つは、憲法制定権です。
沖縄の人々は、沖縄のために自由に政治的地位を決定することができる。
憲法を制定して自分たちの独自の独立した主権国家の制度を作ることもできる」

「私は日本の立憲主義が崩壊するときは、必ず沖縄は独立すべきだと思っています」

島袋教授は、さらに続けた。

「辺野古が強行に建設されるようなことであれば、もはや日本の立憲主義は崩壊したものとみて、
沖縄全体でも、私を含め、独立派は非常に強くなると思います。ですから、今の状況は非常に分岐点ではないかなと」
「もうすでに、「いや、もう日本政府はだめだ。日本国民もだめだ。もう独立しかない」という人は多いんですよ。どんどん増えている。」

翁長知事が、国連という晴れ舞台で「自己決定権(self-determination)の回復」を訴える日まで、
あと1カ月を切った(?知事の国連演説は9/20?9/23予定)。



2015年8月27日
「祖国」離脱機運強まる  比嘉康文

沖縄タイムス 8月27日 論壇
「祖国」離脱機運強まる
新基地建設 岐路に立つ沖縄
                              比嘉 康文

日本は「祖国」になれるのか。「自己決定権」や「琉球独立」という言葉が日常的に語られている沖縄の現状をみると、冒頭の疑問が浮かんでくる。

「祖国」による沖縄差別は復帰後も続き、それからの脱出を模索し始めている沖縄。それを知ってか、知らずか、安倍政権は辺野古新基地建設を進めている。しかし、強行すれば「祖国」からの離脱は強まるだろう。

そのことは最近、全国的なメディアでも指摘されている。写真週刊誌『フライデー』(1月30日号)には「安倍政権の酷すぎる」ことが沖縄独立派を増やし、勢いづけていると指摘。そのことは識者たちの文章にも散見される。

沖縄人は自らの歴史に強い関心を持っている。薩摩の琉球支配から400年、明治政府による琉球処分から130年の節目の2009年、各種団体ばかりでなく、自治体でも講演会やシンポジウムを開き、日本との関係を問い直した。それは他府県には見られない現象だ。

最近、若者たちが「沖縄人は少数民族だ」と国連機関に訴えてきたことが認められ、日本政府に対して2度勧告されている。また、沖縄の歴史を国際的な視点から考える動きも出てきた。その一つは明治政府による琉球処分の違法性の指摘である。

歴史を振り返ると、ふに落ちないことが多い。明治政府は1880(明治13)年、中国で英国なみの権益を得るため宮古や八重山を中国へ割譲することを提案した。

つまり分島問題である。それは一度だけではなかった。尖閣諸島を含む先島を中国に売り渡すもので、沖縄は物扱いされてきた。今度は、その歴史を無視して尖閣諸島海域への中国公船の進出を脅威として煽り、辺野古新基地を押し付けている。

安倍首相は国会での安保法制審議でも中国脅威論を持ち出したが、その前に自らの外交努力で、その危険性をそぎ落としてきただろうか。そのことは小生だけでなく、多くの国民が疑問に思っていることだろう。

 小生は、復帰運動は米軍占領下の人権侵害から逃れ、平和憲法の恩恵を受けるためだったと認識している。だが、その後の施策はあべこべだ。その結果、復帰を独立までの一時的な「緊急避難」と考えざるを得なくなった。

復帰後43年、そろそろ「緊急避難」の限界も見えてきたようだ。昨今の自己決定権、琉球独立の風がそれを物語っている。

安倍政権は普天間を無条件撤去して「祖国」になることを選ぶか、どうかの岐路に立たされている、と思っている。それは小生だけではなかろう。

(宜野湾市、73歳)



2015年8月28日
祖国」離脱機運強まる 新聞の切り抜きです

沖縄タイムス 8月27日 論壇
「祖国」離脱機運強まる
新基地建設 岐路に立つ沖縄

比嘉 康文

先ほどの新聞の切り抜きのページです
http://www.ntt-i.net/kariyushi/20150827higa.html



2015年8月28日
沖縄が独立の可能性 沖縄が独立の可能性

沖縄とどう向き合うのか?戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)
2015年08月27日


 三上智恵監督の最新作「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」の特別上映会が、議員会館で開催されました。

10万人近い県民の命を奪った沖縄戦を振り返りながら、辺野古移設反対運動を活写するドキュメンタリーです。経産省時代、沖縄振興担当をし、何度も沖縄を訪れた私にとって、自分の沖縄感の甘さを思い知らされました。

 元々、中国と冊封関係にあった琉球は江戸時代には薩摩藩の「附庸」として、日中に両属します。しかし、何と言っても、歴史的に、沖縄は、「琉球王国」として独立の王国でした。ペリー提督が日本に先んじて、琉球・米国修好条約を結んだのが、1854年。同様に、フランスやオランダも独立国琉球と条約を結んでいます。

 第二次世界大戦後、米国の占領・統治下に置かれ、1972年に本土復帰を果たすまでにも色々な経緯がありました。昨年末の県知事選で翁長雄志候補が勝利した4日後に、安倍政権が辺野古基地移設の工事を再開した時に、独立国であった誇りを持つ沖縄の県民が、本気で怒った姿を、この映画がとらえています。

 翁長知雄志事と寺島実郎多摩大学学長の月刊「世界」での対談で、知事はこう言っています。「沖縄に経済援助なんかいらない。その変わり基地は返してください。」「沖縄が日本に甘えているのか、それとも日本が沖縄に甘えているのか。」知事選を経て、沖縄の民意は変わりました。国土面積の0.6%の沖縄県が在日米軍の74%を引き受けている現状をどう考えるのか。

 寺島氏は、「普天間移設を、沖縄の負担軽減とだけとらえるのではなく」、「日本における全米軍基地を再点検し、21世紀の東アジアの安全保障を睨んで基地の段階的縮小と地位協定の改定を粘り強く提起し、その中で辺野古の位置づけを議論すべきである。」と指摘しています。

 民主党政権は、残念ながら「基地の負担軽減」の観点のみから迷走し、辺野古移転の決定をしました。野党になってからも、この呪縛から自由になっていません。安倍政権は、いまだに冷戦型の思考回路のままに、辺野古移転を強行しようとしています。沖縄県民の民意が翁長知事の「オール沖縄、イデオロギーからアイデンテテイー」へと変わった今こそ、過去にとらわれず、再検討すべきです。

 国際的には、英国のスコットランド、スペインのカタルーニャ、そして沖縄が独立の可能性の高い3地域と見られています。その現実性を、このドキュメンタリー映画が語りつくしています。



2015年8月28日
(出典)岸本周平ブログ 沖縄とどう向き合うか?戦場ぬ止み

岸本周平 - Wikipedia
岸本 周平(きしもと しゅうへい、1956年(昭和31年)7月12日 - )は、日本の政治家、 大蔵・財務官僚。民主党所属の衆議院議員(3期)。元内閣府大臣政務官・経済産業 大臣政務官(野田第3次改造内閣)。妻はNHK記者の飯田香織。


(出典)
岸本周平ブログ
015年08月20日15:51
カテゴリ
沖縄とどう向き合うか?戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)
http://blog.shuheikishimoto.jp/archives/55346700.html

(映画「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」

 三上智恵監督の最新作「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」の特別上映会が、議員会館で開催されました。

 10万人近い県民の命を奪った沖縄戦を振り返りながら、辺野古移設反対運動を活写するドキュメンタリーです。

 経産省時代、沖縄振興担当をし、何度も沖縄を訪れた私にとって、自分の沖縄感の甘さを思い知らされました。

 元々、中国と冊封関係にあった琉球は江戸時代には薩摩藩の「附庸」として、日中に両属します。

 しかし、何と言っても、歴史的に、沖縄は、「琉球王国」として独立の王国でした。

 ペリー提督が日本に先んじて、琉球・米国修好条約を結んだのが、1854年。

 同様に、フランスやオランダも独立国琉球と条約を結んでいます。

 第二次世界大戦後、米国の占領・統治下に置かれ、1972年に本土復帰を果たすまでにも色々な経緯がありました。

 昨年末の県知事選で翁長雄志候補が勝利した4日後に、安倍政権が辺野古基地移設の工事を再開した時に、独立国であった誇りを持つ沖縄の県民が、本気で怒った姿を、この映画がとらえています。

 翁長知雄志事と寺島実郎多摩大学学長の月刊「世界」での対談で、知事はこう言っています。

 「沖縄に経済援助なんかいらない。その変わり基地は返してください。」

 「沖縄が日本に甘えているのか、それとも日本が沖縄に甘えているのか。」

 知事選を経て、沖縄の民意は変わりました。

 国土面積の0.6%の沖縄県が在日米軍の74%を引き受けている現状をどう考えるのか。

 寺島氏は、「普天間移設を、沖縄の負担軽減とだけとらえるのではなく」、「日本における全米軍基地を再点検し、21世紀の東アジアの安全保障を睨んで基地の段階的縮小と地位協定の改定を粘り強く提起し、その中で辺野古の位置づけを議論すべきである。」と指摘しています。

 民主党政権は、残念ながら「基地の負担軽減」の観点のみから迷走し、辺野古移転の決定をしました。野党になってからも、この呪縛から自由になっていません。

 安倍政権は、いまだに冷戦型の思考回路のままに、辺野古移転を強行しようとしています。

 沖縄県民の民意が翁長知事の「オール沖縄、イデオロギーからアイデンテテイー」へと変わった今こそ、過去にとらわれず、再検討すべきです。

 国際的には、英国のスコットランド、スペインのカタルーニャ、そして沖縄が独立の可能性の高い3地域と見られています。
 その現実性を、このドキュメンタリー映画が語りつくしています。


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『戦場ぬ止み』公式サイト 
http://ikusaba.com/news/

『戦場ぬ止み』院内特別上映会の一般の方の入場について
ひとりでも多くの国会議員に沖縄の米軍基地、辺野古新基地建設の現状を認識していただくため、_8月19日(水)に、衆議院第一議員会館にて特別上映&三上監督によるトークイベントを行います。_国会議員向けの特別上映会ですが、一般の方にもご入場いただけることになりました。_参加は無料ですが、座席数(80席分)に限りがございます。_参加希望の方は連絡先を明記のうえ、前日の8月18日12時までに東風へ事前にお申し込みください。先着順の受付となりますので、定員に達し次第、受付を終了します。
■『戦場ぬ止み』院内特別上映会_■日時:8月19日(水) 開場16:30 上映開始17:00_■会場:衆議院第一議員会館1F 多目的ホール(東京都千代田区永田町2-2-1)_■主催:沖縄等米軍基地問題議員懇談会_■呼びかけ人:沖縄選出議員、赤嶺政賢、糸数慶子、玉城デニー、照屋寛徳、仲里利信



2015年8月29日
2015年8月24日 中日新聞沖縄の基地問題を考える 島ぐるみ会議in静岡


沖縄の基地問題を考える 島ぐるみ会議in静岡

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設など沖縄の問題を考える集会「島ぐるみ会議 全国キャラバンin静岡」が二十三日、静岡市駿河区の男女共同参画センターあざれあであった。

琉球大の島袋純教授(54)=政治学=が講演し「特殊でかわいそうな沖縄ではなく、自分たちの問題として考えてほしい」と訴えた。

 島袋教授は昨年七月、集団的自衛権の行使容認と同時に、辺野古の立ち入り禁止水域の拡大が閣議決定されたことを問題視。市長や市民の合意も無かったとして「沖縄の人は海を活用し、保全して生きている。人権と自己決定権の侵害だ」と話した。

 参院で審議中の安全保障関連法案にも言及。「米軍の一部に自衛隊が組み込まれてしまう。成立は許せない」と主張した。

 島ぐるみ会議は、オスプレイの配備撤回と普天間基地の閉鎖、基地の県内移設断念を求める運動。沖縄の問題を各地で考えるため、十八日から東京など四都県で開かれており、静岡では「沖縄と静岡を結ぶ実行委員会」が主催した。

 実行委員長の藤枝市音羽町、池田一さん(72)は「東富士でもオスプレイの飛行訓練が行われている。沖縄では、日本で起きうる問題が先行していると感じる」と話した。
(松野穂波)

《写真説明》
「沖縄のことを一緒に考えて」と訴える島袋純教授=静岡市駿河区の男女共同参画センターあざれあ、で

・・・中日新聞ここまで
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ジャパンプラス2015年8月27日(反琉球独立系)
動画紹介,沖縄を守ろう
「辺野古建設強行するなら、沖縄は独立すべき」琉球大の島袋純教授が明言

(注:長いので続きは下記アドレスをご覧ください)
http://japan-plus.net/629/

「もし憲法が改正されるようなことがあれば、ただちに沖縄は独立すべきだと思います」_この言葉に会場は一瞬静まりかえり、どよめきが広がった。

8月23日、静岡県内で開催された、米軍基地の辺野古移設反対派による講演会。「沖縄『建白書』を実現し未来を拓く島ぐるみ会議」(以下、「島ぐるみ会議」)の国連部会長を務める島袋純・琉球大教授(54)は、満員の聴衆を前に講演し、独立への意気込みを語った。

島袋教授は、9月20?23日に予定されている翁長県知事の国連人権理事会での演説をセッティングしている責任者でもある。この日は、辺野古での反対運動、「島ぐるみ会議」の取り組みについて、一通り解説したあと、自らの専門である翁長知事の国連演説について言及した。

関係者によれば、「独立」発言が突然飛び出したのは、講演会後半の質疑応答での出来事だったという。「琉球独立の可能性」について問われた島袋教授は、堰を切ったように「独立」への思いを熱く語り始めた。

「あの憲法改正案が通れば、おそらく日本の立憲主義は終わりです。私は、だからもし憲法改正、国民投票をやって、その時、憲法が改正されるようであれば、ただちに沖縄は独立すべきだと思います。

これは必ず視野に入れておかないといけない」
「自己決定権の重要な権利の一つは、憲法制定権です。沖縄の人々は、沖縄のために自由に政治的地位を決定することができる。憲法を制定して自分たちの独自の独立した主権国家の制度を作ることもできる」
「私は日本の立憲主義が崩壊するときは、必ず沖縄は独立すべきだと思っています」

「沖縄独立」が「辺野古移設」交渉カードに!?
島袋教授は、さらに続けた。
「辺野古が強行に建設されるようなことであれば、もはや日本の立憲主義は崩壊したものとみて、沖縄全体でも、私を含め、独立派は非常に強くなると思います。ですから、今の状況は非常に分岐点ではないかなと」

「もうすでに、「いや、もう日本政府はだめだ。日本国民もだめだ。もう独立しかない」という人は多いんですよ。どんどん増えている。」

つまり、「政府が辺野古への基地建設(注:反対派は「移設」ではなく「新基地建設」だと主張する)を強行した場合は、独立運動を活発化させるぞ」ということだ。

「私を含め」と自分自身もいわゆる「琉球独立派」のメンバーであることをはっきりと肯定しているばかりか、「独立」をちらつかせて、政府との基地移設をめぐる交渉を有利に運びたいという思惑が見え隠れする。

島袋教授の主張からみえる、左翼の論理
この日の講演の全貌は明らかにはなっていないが、その一部が、現在、YouTubeで公開されている。1時間以上に及んだという講演のうち15分弱の短い動画ではあるが、この中からいくつかの注目すべき論点を挙げることができる。

(1)キーワードは「自己決定権」
琉球独立運動のキーワードは、やはり「自己決定権」だ。島袋教授は自己決定権を「政治的地位を自由に決められる民族自決権」であると述べている。政治的地位とは、自分たちがどこの国に属するのか、日本の一部なのか、中国の一部なのか、それとも独立した国家なのか、という、帰属する国家を自ら決めることを含んでいる。

_民族自決(みんぞくじけつ、self-determination)とは、各民族集団が自らの意志に基づいて、その帰属や政治組織、政治的運命を決定し、他民族や他国家の干渉を認めないとする集団的権利のこと。「民族自決権」も「自己決定権」も、ともに英訳では〈self-determination〉とあらわされる。

(2)基地問題を「人権問題」「民族差別」にすり替え
そもそも、米軍基地の移設問題は国防問題であり、国家の安全保障の問題である。しかし、なぜ翁長知事は国連の「人権理事会」に登壇し、基地問題を世界に訴えるのだろうか。

それは、反対派が基地問題を「人権問題」にすり替え、「大和民族による琉球民族への差別」という構図を創り出して日本政府に国際的圧力をかけ、基地移設を断念させようと目論んでいるからに他ならない。

(3)「人民」を連呼する島袋教授
島袋教授は講演で、何度も「沖縄の人民」という言葉を連呼した。この場合の「人民」とは、民族が自決権を行使する単位としての「people=人民」を指す。島袋教授の公式サイトによれば、〈沖縄の人々は、独自の主権国家を作り出しうる、

国際法上の単位「人民(People)」(一般にいわれる民族自決権の「民族」)である〉とのことで、「人民(=people)」は琉球独立派共通の概念である。彼等が「人民」と呼ぶ場合は、独立を前提とした琉球民族の人々という意味が込められている。

戦前の植民地がほとんど独立した現在、主権国家として独立する権利を行使できるのは、国家内部の「先住民族」「少数民族」だけである。つまり、沖縄の人々と本土の人間が同じ民族であれば、独立はできないのだ。だから独立派は、「琉球民族と大和民族はまったく別の民族」と主張するのである。

また、沖縄が国際的に独立を承認されるためには、本国から「弾圧されている少数民族」であることが条件となっている。そのために、彼等はあらゆる手段を使って「差別」「弾圧」を強調する。独立派が国連の「人種差別撤廃委員会」「人権理事会」などに働き掛けをしているのは、そのためだ。

大阪弁や東北弁と同じように、単なる地方の方言に過ぎない「島くとぅば」を、琉球民族の言語と主張し、「島くとぅばを話す権利」をわざわざ議会で決議するのも、この流れの一部である。

琉球独立派に乗っ取られつつある「島ぐるみ会議」
那覇市長だった翁長雄志氏をかつぎ上げて知事選を戦い、翁長氏を知事にまで押し上げた「島ぐるみ会議」。その88名の発起人の中には、かなりの数の「琉球独立派」の活動家が入っており、すでに重要なポジションに就いている。

その筆頭は、もちろん国連部会長・事務局次長でもある島袋純教授である。
「島ぐるみ会議 権利章典作成委員会」の宮城恵美子副会長は、琉球独立派の同人誌「うるまネシア」に寄稿し、この「島ぐるみ会議」を、ゆくゆくは琉球憲法制定会議にしたいと述べている。

私は、なぜ参加するのか。私は島袋純氏とこれまで、琉球歴史研究会や沖縄平和市民連絡会、そして「100人委員会」で沖縄の自己決定権の獲得を目指す立場を共有してきた。その立場から「会議」をゆくゆくは憲法制定会議の方向にもっていけないかと考えての参加である。

「琉球民族独立総合学会」が研究・学習するグループとすれば、この「会議」は「琉球弧の憲法制定の横断会議」に持っていけないか。各地域で人権の学習・運動を行い、権利章典を作成しながら沖縄の人権尊重と憲法制定運動を作っていく。

沖縄の将来像が作れるか議論できる大衆運動の基盤として「会議」が役立てられないかという期待である。(「うるまネシア」18号より)

「島ぐるみ会議」の準備委員・発起人の一人である高良勉氏は、琉球独立学会の創立メンバーでもあり、独立後の憲法である「琉球共和社会ネットワーク型連邦・憲法私案」を起草・発表している。

私たち、琉球弧の自治・自立・独立をめざす運動は、このような琉球人民の闘いの歴史を大切にし、その教訓を継承し活用すべきである。とりわけ、琉球独立を実現するためには広範な協労(統一)戦線と島ぐるみ運動がなければならない。(「うるまネシア」18号より)

また、高良勉氏は、琉球臨時政府国連加盟を承認されるという、以下のパロディ新聞の企画・制作者でもある。・・・・・・・・・・

(注:長いので続きは下記アドレスをご覧ください)
http://japan-plus.net/629/
ジャパンプラスここまで
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(以下、既に配信済み分)
「島ぐるみ会議」事務局次長・国連部会長、島袋純教授は8月23日、静岡県内において_講演。憲法改正あるいは辺野古への基地建設が強行された場合は、沖縄は独立すべきと明言しました。

島袋純教授、琉球独立の決意を語る!
https://www.youtube.com/watch?v=IgmHoQa_Qm8

琉球独立派、島ぐるみ会議 島袋純教授による講演
https://www.youtube.com/watch?v=wpiFSGO60y8




2015年8月29日
神奈川新聞 独立論が映す孤立感元沖縄知事・大田昌秀さん

http://www.kanaloco.jp/article/118292

カナロコ 神奈川新聞ニュース
時代の正体〈177〉沖縄の「なぜ」を問い続け
元沖縄知事・大田昌秀さん(上)

公開:2015/08/28 13:10 更新:2015/08/28 13:20
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 沖縄県名護市辺野古への新基地建設をめぐる政府と沖縄県の溝が埋まらない。米軍普天間飛行場の無条件の返還を求める沖縄に対し、政府は「辺野古への移設が前提」との立場を崩さない。新基地の建設はなぜ認められないのか。元沖縄県知事の大田昌秀さん(90)に問題の根にあるものを聞く。

 3選を目指した沖縄県知事選に敗れた1998年から17年、社民党の参院議員として転じた国政から身を引いた2007年からも8年がたつ。理事長を務める沖縄国際平和研究所にはいまも政治家や国内外のジャーナリスト、大学教授など訪問客が絶えない。

 「なぜ、辺野古に基地が造られようとしているのか。その理由と歴史的背景を本土の人はどれだけ知っているだろうか」 蔵書に囲まれた2階の書斎、静かな抗議が響いた。

 もとより学究の人である。公文書館通いを始めたのは、米国の大学院でジャーナリズムを学んだ1950年代半ばから。

 沖縄はなぜ太平洋戦争で捨て石にされたのか。日本が主権を回復したサンフランシスコ講和条約発効後、沖縄はなぜ米軍の施政下に置かれたのか。沖縄にはなぜ基地が集中しているのか?

 積み重なった「なぜ」が原動力だった。 知事に就任すると真っ先に公文書館をつくった。職員をワシントンの米国立公文書館に張り付かせ、解禁された資料を送らせた。
 「秘密とされてきた多くの事項を、それによって解明することができた」 それはまた、自国政府の協力が得られないため、米国を頼らざるを得ないという沖縄の孤立無援を映し出してもいた。辺野古の基地建設の舞台裏を知ったのも米国の資料からだった。

 6月に卒寿を迎えた。元沖縄県知事の大田昌秀さん(90)は「二度と戦争をさせない。それが生き残った意味だと考えてきた」という。

 戦後70年の夏、沖縄で開かれた衆院平和安全法制特別委員会の参考人質疑。大田さんは「言いたいことはたくさんあるが、一つだけお願いしたい」と切り出した。

 「国会議員の皆さんには戦争体験のない方もたくさんいる。沖縄戦とは何だったのか。本土防衛の捨て石にされたのはなぜか。それを考えた上で安全保障の議論をしてほしい」

 集団的自衛権は他国の戦争に参加する権利にほかならない。国会審議が続く安全保障関連法案はその行使を可能にする。安倍晋三首相は「国民の命、平和な暮らしを守り抜くために必要不可欠」と繰り返す。日米同盟が強化され、抑止力が高まり、結果的に戦争を防ぐことになると説明する。

 その発想がそもそも誤りだ、と大田さんは考える。2000年に著した「沖縄の決断」にはこうある。

 〈戦時中の大本営の作戦策定のありようは、戦後の今も形を変えて受け継がれている。日米両政府の安全保障にかかわる議論を聞いていると、そう思わざるを得ない。なぜなら日米安全保障条約や地位協定の締結によってその悪影響をもろに受ける沖縄の生身の人間の平和な生活や安全の問題は、いかなる意味においてもまともに考慮されたことはないからだ〉

 沖縄戦の惨劇がよみがえる。当時、沖縄師範学校2年、19歳で駆り出された戦場で目にしたのは住民に銃口を向ける日本兵の姿だった。

 「自分たちの身を守るため老人や女性、子どもたちを壕(ごう)から追い出した。軍隊は軍隊という組織を守るのであり、民間人を守らない。それが沖縄戦の教訓だ」

 軍隊、軍事力、武力に頼る平和がどれだけ欺瞞(ぎまん)に満ちているか、それは身をもって知ったことであった。


時代の正体〈178〉独立論が映す孤立感
元沖縄知事・大田昌秀さん(下)
社会|神奈川新聞|
公開:2015/08/29 11:39 更新:2015/08/29 11:44
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■ 変わらぬ構図

 反基地闘争にささげた半生。変わらぬ構図にいら立ちが募る。
辺野古での新基地建設を阻止しようと沖縄県の翁長雄志知事が5月に訪米したことについて「適当にあしらわれて終わりだ」と憮然(ぶぜん)とした表情を浮かべた。

 自身もそうだった。知事在任期間中、やはり基地問題解決の糸口を探ろうと米国へ飛んだ。

 国内の基地の閉鎖を決める権限を持つ、米政府からも米議会からも独立した組織「基地統合閉鎖委員会」で委員長を務める弁護士に言われた。「国外の基地の権限は上院の軍事委員会が握っている。上院の軍事委員会に沖縄の基地問題を議題として上げ、議論させない限り、日本の基地問題は解決はしない」

 厳しい現実は何度も突きつけられることになる。2006年5月、在日米軍再編をめぐる日米合意で沖縄に駐留する米海兵隊員8千人とその家族9千人のグアム移転が盛り込まれた。米軍普天間飛行場が返還される代わり、辺野古に新基地が建設されることが条件だった。

 しかし、米上院が計画に難色を示し、予算は凍結された。最終的に凍結が解除されたのは、当初の合意から8年が過ぎた昨年12月のことだ。「上院の軍事委員会が在日米軍基地の権限を持っていることを目の当たりにした。米国におうかがいを立てなければ何も決められない。そもそも新基地建設の費用が日本の税金で賄われる。米国としてはこんなにありがたい話はない。これに対して日本は一度も文句を言ったことがない。米国を前にすると日本政府は何も言わない。つまり属国だ」

■ 沖縄戦の記憶

 「いまほど基地問題の解決が難しいと思ったことはない」。米上院軍事委員会のトップはいま、元軍人で保守色の強いジョン・マケイン氏が務める。そして大田さんは厳しいまなざしを日本本土にも向ける。

 「安倍首相は米国の意向に従うことが正しいと思い込んでいる」

自身が知事だった当時の首相、橋本龍太郎氏は違ったという。「橋本首相とは17回会って話をした。『最優先に返して欲しい基地はどこか』と聞いてきたので『普天間だ』と答えた。日米両政府は普天間を含めた11の基地を返還することに合意した」。もっとも後に11のうち七つの基地が県内に移設することが判明し、落胆することになるのだが。

 沖縄にも変化がある。「独立論」を口にする人が増えていると感じている。「かつては政治家が口にするくらい。それも『独立しても経済的に持たないだろう』とすぐ立ち消えになっていた。それがいまは経済学者が独立論を主張し、琉球民族独立総合研究学会という学会までできた」。理事長を務める沖縄国際平和研究所には米国や英国、中国などのメディアが取材に訪れる。「沖縄の人口は142万人だが、沖縄より人口が少ない国が世界では40カ国ほどある。記者たちは『本当に独立するか』と関心を持っている」

 政府は今月10日から沖縄県と集中協議に入ったが、基地建設の姿勢は変えていない。「本土の人は理解できないだろうが、命を懸けてでも基地建設を止めようとしている人が沖縄にはいる」

 思い返すのは本土復帰直前の1970年に起きたコザ暴動。米軍人による人身事故に端を発し、米軍車両や施設が燃やされる事件が起きた。「暴動に加わったのは5千人ぐらい。新基地建設の工事を強行すれば再び血が流れる事件が起きる可能性がある」

 当時とは、異なることがある。「コザ暴動の当時、沖縄に自衛隊はいなかったが、いまはいる。自衛隊は基地を守る責任を負わされている。住民と米軍が衝突する事態になったとき、自衛隊が住民に銃を向ける可能性も出てくる」

 よみがえる沖縄戦の記憶。「多くの沖縄の住民が自国の軍隊に殺された。その思いが消えない。何が起きても不思議ではない」

 大田さんは再び、投げ掛ける。「行政がコントロールできない事態に陥ったとき、地元の首長としては安保の破棄を主張せざるをえなくなる。そうなれば沖縄の犠牲なしに成り立たない安保条約はつぶれることになる」

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 おおた・まさひで 1925年沖縄県久米島町生まれ。沖縄師範学校に在学中に鉄血勤皇隊に召集され、沖縄戦を体験する。早稲田大卒業、米シラキュース大大学院に進学し、帰国後は社会学者、琉球大教授を務める。1990?98年沖縄県知事、2001?07年参院議員。



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