2006年8月12日(土)朝日新聞朝刊(全国版)第2社会面 国と私 の欄より

「琉球独立」掲げ日米の都合に異議
「沖縄人」として生きる
 
沖縄県宜野湾市の海浜公園に「琉球独立」と書かれた旗が翻った。
3月5日、名護市辺野古崎の米軍基地建設に反対する県民総決起大会に3万5千人(主権者発表)が集まっていた。
旗を掲げたグループが配った新聞の号外は、県民投票による琉球独立決定という仮想現実を伝えていた。
企画した雑誌編集者の仲里効(58)は「日米に都合のいいようにやられてきた沖縄の異議申し立てだ」という。
仲里は南大東島で生まれ育った。戦前、島は本土の製糖会社の所有地で、本土出身の製糖会社員と、その下で働く沖縄出身者が住んでいた。
本土人は広い土地に家を建て、沖縄人は長屋に住んだ。互いに結婚してはならないという不文律は、戦後もしばらく続いた。
沖縄人と本土人の間に壁があることは、子どもの仲里にもわかった。中学卒業後、那覇の高校に進学。「祖国復帰」を叫ぶ人々は日の丸を振っていた。
「祖国」という言葉に違和感を覚えた。 
中国出身で国際政治を専攻する琉球大助教授、林泉忠は昨年11月、沖縄住民を対象に意識調査を実施した。回答数1029のうち、「自分は沖縄人と思う」と答えた人は4割。「日本人」の2倍に上った。
林は「沖縄人意識」が、例えば「大阪人意識」と違うのは、意識の中に日本に帰属するか否かという政治性を帯びていることだという。
琉球王国の歴史、社会的差別、米軍統治、復帰後も変わらぬ基地負担という現実が、沖縄人意識を生み続けている。
調査で「独立すべきだ」は24・9%、「すべきでない」は58・7%だった。ただ、すべきでない理由は「能力がない」(27・8%)が最も多く、「沖縄人と日本人は同じ民族だから」(25・1%)を上回った。これは、自立能力が高まれば、「独立すべきだ」との派がさらに増えるとみることもできるという。
「常に自分は何者かを見失わないようにしないといけない」。むぬかちゃー(沖縄言葉で作家)の知念ウシ(40)は7月、浦添市であった討論会「沖縄の自己決定を考える」で指摘した。
高校の時、米国に短期留学した際、同行した本土の生徒から「日本語上手ですね」と言われ驚いた。東京の大学に合格して思ったのは「普通の日本人になれる」。
大学の勉強会などで、基地問題や国際政治に積極的に発言して喜ばれた。だが陰で「彼女、被害者意識が強すぎるよね。沖縄の地域エゴだ」と言われていると知り、ショックだった。
無理して日本人でいることに疲れた。そう思うと力が抜けた。30歳のころ、日本語を沖縄の抑揚で話そうと決めた。最初、戸惑いを見せた本土の友人たちの中には次第に知念に合わせて沖縄風に話すようになった人もいる。
1月ペルーを訪問した県議団は、沖縄出身の2世や3世が滑らかな沖縄言葉を話すことに感銘した。それをきっかけに、9月18日を語呂合わせから「しまくとぅば(島言葉)」の日とする条例が今春、可決された。
戦前の皇民化教育は、学校で方言を話した子どもに罰として「方言札」を持たせた。
沖縄戦では、言葉を理解できない日本兵が、住民にスパイ容疑をかけて虐殺する事件が相次いだ。
沖縄語普及協議会は2年前、「逆方言札」と呼ぶバッジをつくった。「ふぃるみらな(広めよう しまくとぅば」と書かれている。 (敬称略)
 
写真:米軍基地建設に反対する県民総決起大会で「琉球独立」の旗が翻った=3月5日、沖縄県宜野湾市で(仲里氏提供)
 
*注 当時日本語は教育用の学校での言葉であり日常では普通は沖縄語を話していた。日本語を話せず沖縄語だけの人も多かった。スパイ容疑と言うのはへ理屈で食糧がほしいとか、
理由や目的が別にあるのではないかと言う人もいた。